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- 2018.07.12 Thursday
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●対談が終わって
fee「というわけで、『太陽の黄金の林檎』読書会、終わりー!!」
残響「終わりましたね。長かったですねぇ……何回も読書会をやりましたが、結果数万文字。ひとつの短編集をここまで読んだっていうのもそうはないんじゃないかと。【精読】の名を冠してもよかろうみたいな」
fee「まぁなかなかないでしょうけど、自分たちでそう言っちゃうのもなんだかなぁ……で、お疲れ様会をやるって予告に書いちゃったけど、何を話せばいいんだ!?」
残響「うーん……(ノープラン)」
fee「そうそう、残響さんは『太陽の黄金の林檎』という短編集を読んでどう感じました?」
残響「【かわいい】なって思いましたね」
fee「かわいい!?」
残響「いやあの、題材の扱い方が。もっと生真面目なガチ・ハードSFかと思ってたら、すこしふしぎ系(藤子不二夫的ニュアンス)のSFだったというか」
fee「あぁ、なるほど……」
残響「それだけ【いわゆるディストピア小説】というイメージの『華氏451度』の印象が強かったんですよ、ブラッドベリ……読んでみたら全然違った……」
●ベスト5発表
fee「じゃあ、今回の収録作ベスト5をお互い挙げてみますか……いっせーのせ、で」
残響「わかりました。じゃあいっせーのせ、で」
feeベスト5(順不同):歓迎と別離、霧笛、山のあなたに、サウンドオブサンダー、四月の魔女、
次点:目に見えぬ少年
残響ベスト5(順不同):ごみ屋、歓迎と別離、山のあなたに、草地、霧笛、
次点:太陽の黄金の林檎
fee「なるほど……結構被ってますね。3つ被ってるのか」
残響「そうですね」
fee「『ごみ屋』を選んだんですかw ちょっと渋すぎでしょ!」
残響「職業小説というか、これを読んだ後に自分の仕事を思い返してしみじみ思ったんですよ。あれ、おれってこの仕事結構好きなんだなぁって。そういう気づきがあったんで……。手前味噌ですが、この回は自分でも良い文章(語り)をした気がする」
fee「なるほどなぁ……。じゃあ『対談をやって特に良かった作品』とか。お互いの意見が分かれた作品が幾つかありましたよね? 最たるものが『目に見えぬ少年』」
残響「これ、解釈が真っ二つに分かれましたね」
fee「ここはどちらかの意見を潰すまで激論した方が、見世物的には良かった気もしますがw でもお互い、自分の読みには自信があるでしょ?」
残響「自信があるというか、ぼくはこう受け止めた……は変わらないですからね。変えるつもりがない、っていうことでは全然ないんですけど、初読で【こう読んでしまった自分が居るんだからしょうがあるまい】みたいな」
●対談を経て評価が変わった作品
fee「僕が、残響さんに面白さを教えてもらった作品は、『草地』でした。一人で読んだ時は意味がわからなかったんですけど、残響さんの解説を聴いていたら、僕が思っていたほど難しい話じゃなくて、理解しやすい話だったんだなって」
残響「あぁ、そう言っていただけると嬉しいですねぇ。自分は理屈読みばっかりで、何かこの短編集の分解魔のように見えてるんじゃないかとw」
fee「逆もありましたね。『鉢の底の果物』とか『夜の出来事』あたり」
残響「うーん。あれは、ね。あれは」
fee「ハプニング大賞は『歩行者』ですね。これ、記事ではしれっと対談してますけど、一度対談した後に、2人共お互い誤読しながら読書会をしていた事が後で判明してw」
残響「警察【者】ならぬ警察【車】ね。二人してサラっと流してたっつう」
fee「だから、もう一度追加対談したり。『四月の魔女』あたりも追加対談が入ってたりしていますけど」
残響「これが裏事情暴露や!w」
●あとがき(残響分)
そんなわけで、『太陽と黄金の林檎』読書会、いかがだったでしょうか。改めて自分で読み返してみて、個人的にはなかなか面白い対談になっていると思うのですが。これがスペース星間に響き渡る手前味噌ってやつだぜ。
改めて言うのもなんですが、ぼくとfeeさんとはかなり「読み方」が違う、というのが分かりました。わざわざそれを探っていた、っていうことでもないのですが。二人が同じ本を読んで感想を言い合って、感想の趣旨・立脚点が自然と異なっていたり。あるいは感想を語るにおいて、各々ネタの「引っ張り方」が異なっていたり。
ネタの「引っ張り方」でいえば、feeさんは「物語そのもの」ときちんと向き合って、外部の情報をわりかし抜きにして語ってる。ネタを物語自身から引っ張る、って印象がありました。
対して残響は、あっちこっちから「外部の情報」を引っ張ってきて語ってる、っていう自己分析。まあ、残響の場合、んなたいしたもんじゃなく、胡乱なヨタトリビア知識を引っ張ってきてるってだけの話ではありますが。
ただ、このあたり。
「物語」に耽溺し、物語の中の一員として没頭しきれるfeeさんと、
「物語」をあくまで「考えるひとつのネタ」として、物語外部から観測して考察する残響。
これは、今までのエロゲ対談でも、かなり似通っている図式ではないか、と思うのです。
言い換えれば、一人称型没入と、三人称型観測。主人公プレイと、百合カプ観測と。別にこの小説、そんなにカップリングなかったけど……(百合者は夜のしじまに沈黙する)
どちらが正しい、ということではありません。ただ、ぼくとしては、「違うひとの違う見方」から何かを得てみたい。考えに触れてみたい、という目論見はありました。「読書会」とは言ってますが、この対談ブログの煽り文にもあるように、「バトル漫談」としての異種格闘技感想大会、みたいなフシもありますw
異種格闘技の醍醐味というのは、おそらく「通常の文脈の逸脱」みたいなところにあるのではないでしょうか。難しく言ってますが、ようは「えっ、そんな読み方アリなの?」みたいな。もちろん奇策・飛び道具みたいな、付け焼き刃で驚かせよう、みたいなのは興ざめです。お互いがお互い、自然に読んで率直な意見をぶつけた時にこそ、意外なモノが生まれ出ます。バトル!ノベル!バトル! これこそがナラティヴストラテジー、物語を巡る獅子戦争タクティクスはこれからも続く……(残響の自室は現在エアコンが壊れていて超茹だってます)
この対談をお読みいただいて、
「おお、じゃあブラッドベリを読んでみようか」「同じ本を読んでみようか」
「むしろ読んだけど語りたいことがあるんでブログコメント書いてみるか!」
「おれもあたしも対談ブログやってみようかなぁ」「SF読んでみようかな」
「読もう」「語ろう」
「バトル!ノベル!」
みたいなのが続いていけばいいなぁ、と、かすかに遠く星を見ながらの期待をしています。
もっと多くの「趣味の語り」を!といいますか。
ノベルバトルはしばらく置くとして、我々の生活には、多くの趣味文化の語りが必要なのです。「議論プロレスが活発になればいい」というよりは「文化としての語りが活発になればいい」みたいな。
ぼくとfeeさんは、この企画の最初から「何かたのしさが伝わればいいよね」みたいに話していました。押し付けるつもりはさらさらありませんが、「たのしさ」は、次の「たのしさ」に、さらさらと流れる小川のように続いていくのです。ぼくはそう信じています。
読書とは個人的な営みです。ましてや趣味としての小説読書など。それでも、ひとつの小説を通して、何かネットの片隅に「たのしさ」を置き残すこと。それが誰かにふとした形で伝わること。それをぼんやり夢想しています。
この感覚は、論理的に確かなものではありません。また、それほど強いものでもありません。遠くの星を見るかのような、そんなものです。ブラッドベリっぽいですね。
それでも。「たのしさ」は確かに続いていくのです。
てなわけで、次の読書会は、同じくブラッドベリの連作短編『火星年代記』を読みます。
feeさんはこの小説をブラッドベリのフェイバリットとして挙げておられて。ぼくはその意気にかられて。また、『太陽の黄金の林檎』でブラッドベリいけるんじゃないか、とも思ったので。そういった理由で、『火星年代記』です。
(ちなみに、残響は『火星年代記』の洋書キンドル版も買ってる。たまに翻訳してみて、ひとつふたつネタを提供できたらいいなぁ的な)
あるいは、きゃんでぃそふと『つよきす』になるかもしれぬ……。
これは現在、feeさんがプレイしておられるエロゲのひとつで、feeさんになんとはなしに布教されて、残響め「あ、案外イケるかも……」という始末。これまでつよきすを、有名度合いのわりには食わず嫌いというか、避けてきたのですねぼく。「なんかギラギラしてそうで合わないんじゃないか」と。ただ、feeさんのブログ連載「つよきす三部作 やってます」シリーズがこう、味があってね……。文章がね……。で、興味を持って、体験版プレイしたら「あれ? 自分の波長にあってるかも?」と。「普通にたのしいエロゲだ……」
そんなわけで、現在の予定としてはこの2作品です。
また対談を収録したら、このブログにアップしますので、お楽しみいただけたら、と思います。
改めまして、読者の皆様も、「ブラッドベリ読書会」にお付き合いいただき、ありがとうございました。
残響
第19作目/全21作(「荒野」は除く)「サウンド・オブ・サンダー」 P209〜236
残響評価 B+ fee評価 A
fee「タイムトラベルのお話です。恐竜ハンティングをサービスにした、狩猟タイムトラベル株式会社というのがありまして。過去に行って、恐竜を撃てるというサービスなんですが、未来世界に影響を与えてはいけないので、撃っても良い獲物は慎重に選ばれています。歩ける通路も厳密に決まっているんですね。ところが参加者のエッケルスさんが、色々と自分勝手をしまして。通っちゃいけない場所を通って蝶々を踏み殺してしまいます。そして現代に帰ると……」
残響「大統領が変わっているんですよね。P213ではキースというまともな大統領が選挙に勝って良かった、と言っているのに、P235ではドイッチャーというろくでもない大統領が選挙に勝った事になっている」
fee「そうです。このドイッチャーというのはドイッチュラント……ヒトラーを連想させるキャラクターなわけですが、それはさておき。まず、訳がうまいですね。
P211 4行目『狩猟タイムトラベル株式会社。あらゆる過去への遠征。獲物の名前を言って下さい。そこへ御案内します。あなたは撃つだけです』という宣伝文が、
P234 8行目『主猟タイムトラベル株式会社。あらゆる過去への延征。絵物の名前を行って下さい。そこへ御安内します。あなたは得つだけです』に変わっている。不安定な現実世界を巧みに描いた作家にフィリップ・K・ディックがいますが、ここの描写はどことなくディックっぽさを感じます」
残響「なるほど。現実が改変、浸食されていく感覚」
fee「外部情報の話をしますと、エッケルスさんが踏んでしまったのは蝶々ですよね。元々バタフライ効果という概念があったんですけど、それを有名にしたのがこの『サウンド・オブ・サンダー』だと言われています。その後、同名の有名な映画も作られましたし、たとえば『Steins;Gate』などにも取り入れられました」
残響「あぁ、そうなんですね。バタフライ効果というのは元々カオス理論*の表現なんですけど、ブラッドベリはネガティブな感じで使っていますよね。あー、やっちゃったーみたいな」
fee「ポジティブな意味でも使えるものなんですか?」
残響「そうですね。現実の可能性が固定されない……【そういう可能性もありうるんだ!】、みたいな。でもブラッドベリは、ネガティブですよね。やはりブラッドベリは、元々あるものを変えたくない、過去を大事にしたい、というタイプの作家なんでしょうね」
fee「ですね」
残響「しかし、カオス理論についてきちんと知っているあたり、あまり科学に興味がなさそうに見えても、ちゃんと調べているんですね。「山のあなたに」の記事でも話したぼくの深読みによれば、ブラッドベリは現代思想にも興味があった事になっていますしw この作品はなんだか凄く、SFって感じがします」
fee「この短編集の中で一番SFしてるんじゃないですか? むしろ他の作品がほとんどSFしていない……」
残響「確かにw」
fee「作品に話を戻しますと、まずエッケルスさんがヤンチャをしてしまったわけですが、冷静に考えるとエッケルスさんが悪いというよりも……」
残響「と、いうよりも……?」
fee「狩猟タイムトラベル株式会社、とかいう会社がいかにもヤバいですよね。だって、エッケルスさん程度の困ったチャンが出てきたぐらいで、このザマですよ? リスクマネージメントどころの話じゃないというかw」
残響「多分、一般上場とかはしていないすっごいマイナーな会社っぽいですよね。有限会社? ヤブというか、闇企業というか。金持ちだけに知られている、知る人ぞ知る、的な。このエッケルスさんにも金持ち特有の傲慢さ、愚鈍さを感じます」
fee「リスクマネージメントが全然できず、システムが暴走して悲惨な状況になるというのは、同じ恐竜繋がりのマイクル・クライトン『ジュラシック・パーク』などと共通している事ではありますが……エッケルスさんみたいな困った客が出てくる事ぐらいは想定していてほしいですね」
fee「ところで、この最後の『雷のような音』というのは、ブチ切れたトラビスさんに、エッケルスさんが撃たれた音ですか?」
残響「そうだと思います。P232 10行目『言っておきますがね、エッケルス、あなたを殺してやりたいくらいですよ』からもわかるように、トラビスさん、相当怒っていますからね……」
fee「後は……そうですね。ブラッドベリにしては珍しく、この作品には映画があります。予告編はこれなんですが……」
残響「どれどれ……なんだこれ、ジャングルの中をただ歩いてるだけじゃないですか!w」
fee「うん。なんか、いかにもつっまんなそーな……ブラッドベリ作品の映画化は『華氏451度』がそれなりに成功しているんですが、他はちょっとアレなんですよね。そのアレな話は、次に取り上げる『霧笛』でもお話するんですけれども」
残響「なんだろうw ちなみに『華氏451度』の方は悪くなさそうですね。『サウンドオブサンダー』の映画よりは面白そうだ」
fee「良かったら見てくださいな。『サウンド・オブ・サンダー』に関してはこれぐらいかな?」
残響「そうですね」
fee「面白かったし、好きな作品なんですけど、意外と語る事が少ないかなぁ。別に、二人の間で解釈が分かれるとかそういうのもなさそうですし」
残響「素直に面白かったんですけどね。まぁそういう作品もあるってことで、『霧笛』に行きますか」
*カオス理論……複雑系登場以前の典型的科学的思考は、各要素の煮詰め重視。「〇〇すれば、××になる」式のものでした。ざっくり簡単に言うと、「同じ原因だったら、同じ結果になるよ」というものです。
ところが、これは局所的な考えにすぎない、というのがカオス的な考え方です。そもそも事象(モノ、出来事)は、単独(一個だけ)の要素だけではなく、様々な要素が複雑に絡み合って成立している。
そういう自然の実際に対し、「〇〇すれば、××になる」といった考えは、ひとつの要素「のみ」を扱った単純な考えにすぎない。すべての要素が絡み合った事象の全体集合が、この自然世界なのだから、全体(システム論的思考)でもって物事を考えよう、というのが、基本です。
さて、バタフライエフェクトに関してですが、これはある意味でカオス理論の基本である「初期値鋭敏性」にも関わってきて。
蝶の羽ばたくか、羽ばたかないかなど、些細なものです。でも、カオス理論ではこの初期の小さい挙動のズレこそが、その後の全体(システム)に決定的な差異をもたらす、っていうこと。風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな。
しかし、こうしていくと、「えー、そしたらもう何も考えられんじゃないか、複雑すぎて!」となりますね。いや、そうではない。ここで提言されてるのは、要素一個のみをただ煮詰めて「〇〇すれば、××になるよ」ですべて事足れり、とする単純さでは、解決出来ないモデルが現実には山とある、っていうことで。
「システムという全体概念を重視せよ、無視するな」……個別の要素だけでなく、総合的な、矛盾も孕んだ全体をきちんと考えよ、というっていうこと。これがカオスの意味(の初歩)なのではないのかなぁ、と思うわけです。西洋的というよりは、東洋的、八卦的ともいえるのかも。(残響)
第20作目/全21作(「荒野」は除く)「霧笛」 P9〜26
残響評価 A fee評価 A
fee「いよいよビッグネームの登場です。マックダンさんという灯台守と、語り手のジョニー、2人がいる灯台に、灯台の音を仲間の恐竜の声だと勘違いした恐竜が、やってきます。で、まぁ勘違いだとわかって帰っていくという……」
残響「プロットだけ取り出すと身も蓋もないな……でも、すごくいいお話だと思います」
fee「表現がとにかく綺麗なんですよね。P18の7行目『その叫びは水と霧の数億年を越えてやってきた。ぼくの頭と体がふるえ出したほど、孤独で、悩ましげな叫びである(中略)孤独な、深い、遠い音。孤立の音、視界をとざされた海の音、冷たい夜の音、別離の音』とか、P19の3行目『この世界は、あいつに向いていない。この世界じゃ、あいつは隠れていなきゃならない(中略)かすかだが聞きおぼえのある音を聞くと、あいつの腹の中の炉が熱くなる。あいつはすこしずつ、すこしずつ上昇を開始する』などなど。P24の16行目、『奴もいい勉強をしたものさ。この世界じゃ、どんな相手でも、あんまりふかく愛しちゃいかんということをな。海の底の底へ帰って、奴はまた百万年ほど待つだろう』というのも。全文引用してもいいくらい」
残響「そうですね。本当に美文だと思います。ときに、ぼくは短編集を順番どおりに読んだので、最初にこの作品を読みました。ブラッドベリ自体初めてなので、これが初ブラッドベリ作品になったんですが、『やるなぁ』『いいなぁ』と思いました。深く響くというか……詩的ですよね。これなら最後まで投げ出さずに、まぁいけるかな? と思ったんです。feeさんはブラッドベリの文章(文体・語り口・地の文)についてはどう思いますか?」
fee「巧いなぁ、と思います。残響さんの仰ったとおり、詩的な良い文章で。ただ、たまにやや過剰に思える事もあって。短編の長さならいいんですけど、長編だとちょっと冗長さに焦れてしまう事もあります」
残響「なるほど……。この辺り難しいですね。詩的な文章ゆえに、逆に読者をぐいぐいっと強引に持っていくドライヴ感が欠落……もたついてる? と批評は出来ますが。このあたり『あちらを立てればこちらが立たず』というか。さて、『霧笛』に話を戻しますと、ぼくはマックダンさんというキャラも好きですね。良い感じに老成しているというか、渋いというか。少年のジョニーと比較して……」
fee「いやいや、ちょっと待って。ジョニーは少年じゃないですよ。P24の5行目に『小さな田舎町で職場と妻を得て身をかため』ってありますし」
残響「あっ、ほんとだ(やべえ)」
fee「マックダンさんの方が年上ではあるんでしょうけどね。5歳か、10歳か、それぐらいは。というか、ジョニーって何者なんでしたっけ? 同僚? ただ遊びに来ただけ?」
残響「さぁ……どうだったかな……?」
fee「まぁ、それはいいか。海の底から恐竜がやってくるというのはロマンですよね。悠久の時を海の底で待ち続けた恐竜の耳に、灯台の音が遠くから聞こえてくる。ひょっとしたら仲間がいるんじゃないか。そう思い、水圧の問題もありますので、これまた長い時間をかけてゆっくりゆっくり恐竜が海の底から上がっていき……。そして、仲間の姿は見えず、消沈して帰っていく……。恐竜に感情移入してしまうと、すごくしんみりとしてしまいますね。ところで」
残響「あ、なんでしょう?」
fee「この作品は、ある有名な怪獣の元ネタにもなっているんですが、なんだかわかりますか?」
残響「えっ……なんだろ……」
fee「ガッディーラです(石原さとみ風)!」
残響「がっでぃーら?(意味不明)」
fee「……ゴジラです(しょんぼり)」
残響「あ!あ、そうか(やべえ) え、ゴジラって、あのゴジラですか?」
fee「はい、『サウンド・オブ・サンダー』と同じく、この『霧笛』も映画になったんですが……それがこちらの『原子怪獣現わる』という作品でして」
残響「うわっ、なんじゃこりゃw 全然『霧笛』じゃない! そして確かにそこはかとなく初代『ゴジラ』っぽい。一応灯台は壊してますけど……ブラッドベリは単に客寄せに使われただけなんじゃw」
fee「多分そうですw 『霧笛』とは別物の怪獣パニック映画なんですけど、これに影響を受けて『初代ゴジラ』が生まれたので、乱暴に言っちゃえば、ブラッドベリはゴジラの産みの親と言えるのではないかとw」
残響「すごいな……これは全く知りませんでした……」
fee「それとは別に、日本のアマチュアの人がupしている『霧笛』の動画があるんですが、こちらも良かったら見てください」
(この動画はブログ埋め込みが出来なかったので、リンクから見てください)
残響「あっ、これ、なかなかいいですね。こちらの方がずっと、ブラッドベリっぽい……」
fee「ですよね。ブラッドベリの良さをちゃんと捉えている、良い動画だと思います。『原子怪獣現わる』とかよりもよっぽどw」
第21作目/21作(「荒野」は除く)「歓迎と別離」 P371〜386
残響評価 S fee評価 S
fee「いよいよ最後の作品になりました。『歓迎と別離』。あらすじは、不老不死……不死じゃないのかな?」
残響「不死についてはわかりませんね。不老は間違いないです」
fee「はい。不老の少年、ウィリーが主人公です。彼は本当は43歳なんですが、見た目が12歳のまま成長しないんですね。なので、何年か暮らすと、周囲の人に怪しまれてしまい、街を離れないといけません。何年か暮らしては街を離れ、何年か暮らしては街を離れ……そういう暮らしをずっとしてきたわけです」
残響「まさに『歓迎と別離』ですよね。ひとつ所に留まれない、別れを繰り返す物語」
fee「この作品は、僕が考えるブラッドベリらしさが凝縮されているような作品です。寂しさ、優しさ、暖かさ、切なさ、郷愁……」
残響「そうですねぇ。寂しいお話でもあるし、優しいお話でもある……」
fee「邪悪な人間は出てこないんですよね。むしろ暖かい人たちが多い」
残響「皆、ウィリーをわかろうと努力するんだけど、わかってあげられない。ウィリー自身もそれをわかっている。冒頭の一文『でも、もちろん、行かねばならない。ほかにはどうしようもない』からもそれがうかがえます」
fee「ウィリーの周囲は暖かい。けれど、別れは必ずやってくる。別れを繰り返して生きていかざるを得ない」
残響「さよならだけが人生だ(井伏鱒二)、じゃないですけど、そんな感じですね」
fee「つまらない事を言うと、実際には43歳だとしても、外見が12歳なら、12歳として人から見られる。そして、12歳として生きていくんだなぁというのは思いました」
残響「ウィリーの屈託も描かれていますよね。『成長しない自分』として、成長していかなければならない、というような。P382の11行目『「あなたは淋しくなることはないの。おとなのすることを――いろんなことを、したくならない?」「それはずいぶん、苦しみました」と、ウィリーは言った。「ぼくは自分に言いきかせたんです。ぼくは子供なんだ、ぼくは子供の世界に住まなきゃいけない。子供の本を読み、子供の遊びを遊び、ほかのことからは自分を切り離さなきゃいけない。つまり、ぼくはたった一つのもの――若さ、であればいいんです」』
fee「ふむ……」
残響「イノセンスの喪失、というものがアメリカ文学の一つの伝統だとぼくは思っているんですが、ウィリーの存在自体がイノセンスの塊ですよね」
fee「イノセンスの喪失、というのは?」
残響「無垢なるもの。子供が大人に成長するにつれ、失われていくもの。近代以降の欧州の物語類型(「小説=ノベル」)では、それをポジティブに成長物語(いわゆるビルディングス・ロマン)とする例が多いように思うんですが、アメリカ文学ではむしろ成長と引き換えに失われていくもの、見失ってしまうもの。そちらに目を向けるケースが多くて。そこに、もう一つのアメリカ文化表現……アメリカ映画の伝統でもある、ロードムービー。旅物語、ですか。その要素もこの作品には含まれている」
fee「ロードムービーはアメリカに多いんですか?」
残響「多い、とは言われていますね。ある種の典型。『イージー・ライダー』とか。まあ、少なくとも、アメリカ文化の作品に多くみられる形式だと思います。何しろあの村上春樹(小説家としてだけでなく、アメリカ現代文学の翻訳者でもある)が大学時代、卒論で書いたテーマが『アメリカ映画における旅の系譜』だったりしますから」
fee「なるほどなぁ……」
残響「イノセンスの喪失だと、たとえば『ピーター・パン』とか『ハックルベリー・フィン』とか。あるいは『ライ麦畑でつかまえて』とか」
fee「あぁ……ハックか。確かに、このウィリーは、ハックルベリーフィンの感覚に似てるかもしれない」
残響「はい。そういった作品のオマージュのようにも思えるんですよね。意識してか、無意識にかはわかりませんが、ブラッドベリが今まで読んできた作品群からの影響というか。feeさんもこの作品にSランクをつけていますけど、feeさんはどうお感じになりましたか?」
fee「いや……なんか、残響さんが素晴らしい感想を言ってくれたので、僕からはもうあまり……」
残響「いやいやw」
fee「いや、ほんとそうですよ。僕から言えるのはそうですね、最初にも言いましたけど、胸が締め付けられる、優しくて美しい物語だということ。この短編集には、他にもブラッドベリらしい作品、寂しさを感じる作品はありますけど、イメージの美しさ、鮮烈さではこの作品と『霧笛』の二作が最高峰かなと思います」
残響「ただあれですね。この作品は、長編だと書けないですよね。もたない、というか」
fee「そうでしょうね。なのでブラッドベリは基本、短編の人なんですよ。もちろん長編にも良い作品はありますけど、短編の方に見るべき作品が多い……」
残響「ふむふむ(ブラッドベリ初心者的首肯)」
fee「イノセンス、という意味では、『10月はたそがれの国』に入っている『みずうみ』と双璧かなぁ。こちらも是非読んでほしいんですが……というか、『歓迎と別離』が好きなら、ブラッドベリをどんどん読んでくださいよw」
残響「とりあえず『火星年代記』は読む予定なのでw しかし、長かった『太陽の黄金の林檎』21作品レビュー、とうとう終わりましたね」
fee「そうですね、楽しかったです」
残響「こちらこそ。最後に、何かいい締めの言葉はないかな……ブラッドベリの引用とか……」
fee「『世界は自己の表象であり、世界の本質は生きんとする盲目の意志である』」
残響「と、突然なんですかww」
fee「え、いや、締めの言葉を探してるっていうからw」
残響「唐突すぎますよw なんなんだ……ホントになんなんだw というかいいのかいなコレ(saphireさん御健在なのかしら……)」
次回へ続く……(『太陽の黄金の林檎』読書会 総まとめ&お疲れ様会)
第17/全21作(「荒野」は除く)「山のあなたに」 P237〜262
残響評価 A fee評価 A+
fee「コーラさんというおばさんが山奥に住んでいます。夫のトムと、隣近所のブラバムさんぐらいしかいない、人里離れた田舎です。そこに、甥のベンジーが夏休みの間だけ訪ねてくるんですね。コーラさんは文字が読めません。隣のブラバムさんの家には手紙が結構届いてるんですが、コーラの家には届かないので孤独です。そこで、文字の読めるベンジーがいる間、コーラさんは通販のカタログとか通信講座の資料とか、その他なんでも思いつく限りの手紙を書いて、手紙を受け取るんですね。そうして誰かと繋がって、孤独を癒す。ラストはベンジーが家に帰ってしまい、文字の読めないコーラは再び孤独に取り残される、そんな話です」
残響「……時代性なのかなぁ。識字率が低い故の悲劇というか……」
fee「いくら孤独だからって、迷惑メールを大量にもらって喜んでるというのも寂しい話だなぁと思ってしまうんですが」
残響「あ、やっぱり迷惑メールを思い浮かべました?」
fee「うん。あるいはスーパーのチラシとか。いくら寂しくても、それじゃ気は紛れないでしょ」
残響「まぁねぇ。でも、それでも一応そのメールの向こうには『人間』がいる、ということなのでしょうか」
fee「今ならインターネットがありますからね。それこそTwitter、SNS、2ちゃんですよ」
残響「うーんw (ささやかに感じ取る地獄テイスト)」
fee「一応隣にブラバムさんという人が住んでいるのに、孤独は癒されないんですねぇ。仲良くできれば一番いいのに」
残響「それは……無理なんでしょうね。なんつうか、同族嫌悪?」
fee「世界中で人類が2人だけになっても、仲良くなれない……『火星年代記』にもそんな話があったな」
残響「このブラバムさんという人も相当病んでますよね(完全にお前が言うな案件)」
fee「僕、ちょっとこの人は意味がわからないですね。この人も孤独なわけでしょ? で、手紙を自分の郵便ポストに入れて、これ見よがしにコーラさんに見せる。『私はこんなに郵便が来るのよ』って……寂しい者同士で何やってんだろ、って思う。何が楽しいのかなぁ?」
残響「でもこういう人、いますよ……ぼくのリアル知人にもいるな……」
fee「現代ならあれですね。Twitterのフォロワー競争で『私、フォロワーが1000人もいるのよ?』的な……」
残響「ブラバムさんは、クソリプ製造機なイメージw」
fee「絶対に相互フォローします、みたいなアカウントを片っ端からフォローして、フォロワー人数1000人を誇る感じじゃないですか? コーラはbotに話しかけまくって、リプをもらっちゃ喜んでそうだし」
残響「酷い……インターネッツ地獄界隈や……」
fee「まぁ、何がしたいんだか僕にはさっぱりわかりませんわ……わかりたいとも思わないけど。ブラバムさんはいいとして、コーラに話を戻しますが、やはり今のアメリカなら田舎でも識字率は高いんですか?」
残響「多分高いと思いますよ、今なら。流石に。コーラの悲劇は学校教育を受けられなかった弊害、的なものも……」
fee「でもこれ、通信講座が出てくるじゃないですか。P256の9行目、『当通信教育学院独特の衛生技師資格通信講座申込書一部をお送り申し上げます』。あの、現代で言うアイキャンみたいな……」
残響「ユーキャン?」
fee「そうそうw ユーキャンの講座。ユーキャンなら……あった、『日本語の常識』講座。ね、こういうのを使って英語を覚えれば良かったんですよ」
残響「29000円か……微妙な値段だ……。コーラに払えるのかなぁ」
fee「コーラ、たぶん専業主婦ですからねぇ。旦那のトムが払ってくれれば……」
残響「『女に教育はいらん!』とか昭和時代の劇画調で言って、そのお金で安酒買いに行きそう……」
fee「酷い……。こんな田舎じゃ、バイト先もなさそうだしなぁ。後ね、コーラはなんでどうでもいい資料請求とかばかりしてるんでしょ? 文通相手とかを作れば良かったのに。現代のSNSもそうですが、少なくとも、入りもしない講座の資料を請求するよりはメル友でも作った方が遥かに良いような」
残響「まあ確かに」
fee「とにかく、コーラは文字を覚えれば良かったんですよ。通信講座が無理なら、ベンジーが家にいてくれる間に、少しでも習うべきでした。別に難しい構文とか要らなくて、簡単な単語だけで良いじゃないですか。それで、文通でも始めればまだ世界は変わったかもしれないのに……」
残響「コーラにとって、文字(テキスト)の世界=知の世界、はあくまでも憧れの世界であって、自分が属する世界ではなかったのかもしれませんね」
fee「P259の16行目『でもね、ベンジー、わたし結局、文字をおぼえなかった。手紙を出すことばかりに夢中で(中略)、文字をおぼえるひまがなかった……』。コーラは、きっと文字を覚えたい気持ちはあったんでしょうね。でも、やっぱり難易度が高かった」
残響「この小説の原題は『The great wide world over there』。直訳すると『ここからの広く、広大な世界』でしょうか。コーラの世界は、閉じられた、狭く、文字のない世界。そして山のあなたに広がるのは、人が多く、広大で、(文字のある)知的な世界」
fee「コーラが人生を変えるには、1.『文字を覚える事』 2.『引っ越しをする事』 3.『ベンジーが救世主になってくれる事』。この3つのうちどれかを成し遂げない事には……」
残響「経済的な問題、場所的な問題、能力的な問題、色々と制約があって……」
fee「そういうのもあるでしょうけど、結局、一番の問題はコーラが自分の枠を壊せなかった事なのかなぁと。人間、何歳になっても新しい挑戦をして良いと思うんですが、コーラには今までの55年の人生を変えるのは難しかった……」
残響「P261 10行目『とうとう、ある日のこと、郵便箱が風に倒された。それでも朝が来るたびに、コーラは小屋の戸口に立ち、白髪を撫でつけながら、黙って山を眺めるのだった。年は過ぎていき、それでもコーラは、倒れた郵便箱のそばを通るとき、きまって意味もなく箱に手をつっこみ、そしてむなしく手をひっこめ、それから野原へさまよい出るのだった』」
fee「泣ける……」
残響「この、『野原』へさまよい出るというのも象徴的な感じがしますね。知の世界から背を向けて、文字のない自然の世界をさまようという」
fee「なるほど……」
残響「古代ギリシャの哲学者プラトンの使った言葉で、『コーラ』という哲学用語があるんです。これは『(母なる)場所』のことを表すんですが……ブラッドベリはその辺を意識して書いたのかもしれませんね。デリダとかと同時代だったはず。まあ、(ブラッドベリが現代思想にどれだけ親近性を持っていたかは疑問ですが)。だとするなら、コーラは『山のあなた』にはたどり着けない……彼女・コーラの割り当てはこの、文字のない自然界なのですから *1」
fee「深いなぁ。僕はその方向から深めることはちょっとできないので、どうでもいい話をしますと、P255 11行目の『あの、申しわけありませんけど、もし御面倒でなかったら、すみませんが……郵便箱に入れていただけません?』というところが面白かったです。手紙を直接渡されるんじゃなく、ちゃんと郵便箱から取り出したいですねw 形から入るというか。このコーラさんの面白いところは、P261の8行目『むこうでもわたしたちの手紙を待っているのに、わたしたちは書けないで、むこうもだから返事を書けないのね!』」この辺りも、コーラさんの無邪気さが炸裂しているというかw」
残響「ですねw しかしこれ、文字が読めたら別の絶望が生まれかねないような。あと、ちょっと思ったんですけど。トムってなんなんですかね? 一応旦那さんのはずなのに存在感がまるでないというか……トムがコーラと仲睦まじくできれば、それだけでだいぶ癒しになる気がするんですけど。トムはこの状況、どう思ってるんだろう。何も感じてないようにも見える……」
fee「ひょっとしたらトムは山の向こうで仕事をしているのかもしれませんよ。だから、仕事の時間は人とのふれあいがあって、知の世界にもある程度接しているのかも。ずっと家にいるコーラとはその辺で差があるのかも」
残響「なるほど。あと、ベンジーという甥がいるんですから、コーラには子供がいるはずですよね」
fee「言われてみればそうですね。子供を頼って引っ越すわけにはいかないんでしょうか。……せっかく子供を作っても、子供は親を見捨てていくんですよ……邪魔者扱いされたりしてね、しょうがないね……。でもベンジーは本当にいい子ですよ。おばさん孝行をすごくしているし、P259 14行目 コーラ『いい夏だったわ』に対して、『ほんとだね』と答えてくれてるんですよ」
残響「清涼剤ですなぁ。まぁでもそのうち来なくなっちゃうんじゃないですか? もう少し大きくなったら……だいたいそんなもんですし。都会のチルドレンは」
fee「確かに、コーラのところに来ても特に楽しくないだろうし……」
残響「暗いなぁ……」
fee「この話、めっちゃ鬱ですからね。大体、他人事みたいに言ってますけど、残響さんって結構山奥に住んでいらっしゃるんでしょ? もしインターネットがなかったら、どうですか? おまけに文字も読めなかったりしたら」
残響「うっ……それは、ヤバい……地獄とはシマーネ農業王国のことでありけり……」
fee「残響さんが、コーラの立場になっちゃいますよ。ブラバムさんみたいな人もいるみたいだし」
残響「これはよしましょうw この話はあまり深めない方がいい気がする……」
fee「わかりましたw やめましょう」
残響「しかし随分喋りましたね。この作品、今までので一番長く喋ったんじゃないですか?」
fee「一番最初、まだ読書会に慣れていなかった頃にやった『二度と見えない』あたりも長かった気がしますが、慣れてきてからに限定するなら多分これが一番長いですね」
残響「やはり、色々言いたくなる作品だったということで、良かったです」
*1……このあたり、フランス現代思想の哲学者、ジャック・デリダの『プラトンのパルマケイアー』の説明のニワカ仕込みの孫引きをしております残響さん。あと同じくフランス現代思想のジュリア・クリステヴァとかのも。学生時代、そのあたりの本をボンヤリ読んでたので……。詳しくはこちらリンクとか
http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/1018/
第18作目/全21作(「荒野」は除く)「目に見えぬ少年」 P103〜124
残響評価 B fee評価 A+
残響「魔女と、いたいけな少年のお話ですね」
fee「かわいそうなおばあさんと、魔性の少年の話じゃないんですか?」
残響「えっ!?」
fee「えっ!?」
残響「相変わらず、なんだこの違いはww」
fee「ちょ、ちょっと順を追っていきましょうか。おばあさんのところに少年がいますよね。
このおばあさんは、魔女の振りをしています。構ってちゃんなので、少年と遊びたくて仕方ないんですね。でも少年は、バーチャンと遊んでもつまらないので帰りたがる。そこでおばあさんが嘘をついて、『透明人間になる魔法をかけた。このままじゃ家に帰れないよ』と脅す。まぁほんとはそんな魔法はかかっていないので、おばあさんは少年の姿が見えない振りをするんですね。で、少年はいい気になってアカンベーしたり、勝手におばあさんのベーコンを食べたり。この辺の、哀愁漂うユーモラスなやりとりが面白いなぁと思うんですが……」
残響「うん、はい。異論はないです」
fee「で、最後におばあさんが根負けして、とうとう魔法が解けたと宣言します。少年は意気揚々とおうちに帰ります。寂しいおばあさんを一人残して……」
残響「いやいや、ちょっと待ってください! P123の3行目に『今度こそほんとうに見えなくなったチャーリーは老婆のあとをついて来た』とありますよ。どうしてかはわかりませんが、『透明人間になる魔法』が最後、本当に少年にかかっちゃったんですよ」
fee「うーん、そうかなぁ?? とりあえずそこの話をする前に、最後の8行目まで……つまり、作品の始まりから、P123、2行目の『老婆はぐったりと疲れて』までの展開についてはお互い意見は同じなんですよね?」
残響「はい、そうだと思います。問題になっているのは最後の8行、ラストパラグラフです。『今度こそほんとうに見えなくなった』とあるんで……」
fee「残響さんは、『透明人間になる魔法』が少年にかかった、と。僕はこれ、少年は普通に家に帰ったんだと思います。最後のこれは、おばあさんの妄想ですよ」
残響「妄想ですか!!」
fee「うん。このおばあさんは、寂しさのあまり少年に構ってチャンしてたわけで、それにも関わらず少年が帰ってしまった。そこでおばあさんは、目に見えない少年が戻ってきた、という妄想にふけってしまったんですね。P123の6行目『今度は奪われる心配もなく老婆はベーコンをたべ、それから何かの呪(まじな)いをして、棒きれやボロや小石で作ったチャーリーを抱き、ほんもののあたたかい息子のように子守唄をきかせ、しずかにゆすり、二人はいっしょに眠った……眠い声で何かキラキラ輝くもののことを語り合い……やがて夜明けがちかづき、焚火はすこしずつすこしずつ、消えて……』」
残響「美文ですなぁ……味わい深い文章だ」
fee「うん、素敵な文章だと思います。けど……本当に目に見えないチャーリーがここにいるなら、こんなに大人しくしてますか? ベーコン奪って、あかんべーするようなチャーリーですよ? これはおばあさんが、自分の寂しさを慰めるために妄想した、理想のチャーリーだと思います」
残響「うーん……そう言われてしまうと、確かにそうも読めるから困る……。でも、ぼくはfeeさんと違って、このおばあさんは本当に魔女なんだと思います。冒頭から『カエルの干物をすりつぶして』いますし。なんちゃってコスプレ魔女がここまでやりますかね?」
fee「ただ、冒頭から既にチャーリーは来ていますからね。チャーリーのいないところでは普通のおばあさんなのかもしれませんよ? でもまぁそう考えていくと決め手に欠けるというか、どっちにも読めますよね」
残響「そうですね。どちらにも読めるように、解釈の余地を残しているというか」
fee「これに関しては、僕は自説『おばあさんの妄想エンド』に自信を持ってはいますが……ただ、この読書会の趣旨は、自説の正当性を主張して相手の読みを叩き潰すところにはないんです。むしろ、そういう読み方もあるのか、と幅を広げていくような方向性でありたい」
残響「そうですねぇ。読書は……小説は、自由だ!(ガンダムビルドファイターズ風) しかし、ここまで読み方が違うとは、本当に面白いですね」
fee「うん、面白い。この作品を読んだ人は、僕と残響さん、*どっちの読み方で読んだ人が多いんだろう。アンケートとか取りたいですよね。多数派が優れているとかそういうんじゃなく、純粋にどうなのかな、と」
*あるいは、更に別の(fee)
残響「気になりますよね」
fee「僕の見方だと、この作品は『山のあなたに』に似てるんですよ。寂しがり屋のコーラ=魔女で、コミュニケーションの断絶のお話。結構かわいそうなお話だと思ってるんです。おばあさんはこんなにもチャーリーを思っているのに」
残響「ふーむ。ブラッドベリは結構印象的なおばあさんキャラを出しますよね。『大火事』でもおばあさんが活躍しましたし。あと、ぼく、結構おばあちゃんっ子だったんですよ。それも読み方に関係しているのかもしれません。ぼく、この作品は好きですね」
fee「僕もこの作品は好きです。でも残響さんが好きなのは、最後に少年が透明人間になっちゃう『目に見えぬ少年』で、僕が好きなのは、少年が家に帰って、おばあさんが妄想で自分を慰める『目に見えぬ少年』でしょ?」
残響「ですねww」
fee「確固とした正解はなくて、お互いどちらも自分にとって好きな結末を選んでいるだけなのかもしれません。残響さんは怪奇幻想色の強い結末が好きで、僕は寂しい結末が好き、みたいなw でも、読書なんてそれでいいんだと思うんですよ」
残響「それは本当にそうですね。この作品でも、自分では気づかなかった別の読み方を、お互い知ることができました。ブラッドベリという作家自身、ひとつの確定的真実の押しつけではなく、複数の解釈ができるように作品を作っているのもいいなと思いますし、読書会にピッタリな作品だったのかも」
fee「ですね」
第7回に続く……(「サウンド・オブ・サンダー」「霧笛」「歓迎と別離」)
第14作目/全21作(「荒野」は除く) 「発電所」 P263〜282
残響評価 A- fee評価 B−
fee「いつもは僕があらすじを言うんですが……僕この話、ちょっとよくわからなかったんですよね……」
残響「これ、いい話なんですよ。えと、登場人物は一組の夫婦で旅をしてるんですが、奥さんの方がちょっと人生に疲れちゃったんですね。先行きも不安で、なんか心細い。で、休憩で発電所に立ち寄るんですが……そこで不思議な出来事が起こって電波みたいなのを受信する、と。その電波に癒されて『私は一人じゃないんだ』という穏やかな気持ちになります。同時に、隣にいた夫の事もより深く理解できるようになる。夫も同じように『自分は一人じゃないんだ』といつも思っていたからこそ、常にどっしりと構えていられたんだ、と奥さんは理解する。そして、『これからは時折、発電所に来ましょうね』と奥さんが言って、夫も同意する。そんなお話ですね」
fee「そんな話だったのか……」
残響「文中で、最初のほう、キリスト教的な単語が出てきます(「教会」「聖書」「牧師」)。それを考えると、元々、一神教的なキリスト教(God)の教えが、奥さんにとってはあまり馴染まないものだったのかな、と。しかし奥さんにとっては、後半で示唆される、【神(Spirits)は遍在する、どこにでもいる】という、アニミズム的な宗教観が肌に合っていたのではないでしょうか。発電所の電波から福音(? あるいは霊感?)を受けたというか、そうした気づきを得たというか。だから *1いい話だなぁと思うんですけど……feeさんはどんな話だと思いましたか?」
fee「えーと、僕はこれはエロゲの『雫』みたいな話かなって。あの、『雫』未プレイなんで適当な事を言ってるんですけど、毒電波みたいなのを受信した話かなって」
残響「『雫』!w なんてこったい、凄いところ来ましたねw」
fee「電波を受信した後、奥さんが謎の音楽をハミングするじゃないですか。このハミングを聴いてしまった人が、またハミングをする。ハミングの連鎖が起こって、世界中が発電所の毒電波に洗脳される。そんな感じのホラーかなと思って読んだんですけど」
残響「『巫女みこナース』でも流してるんですかねww 頭痛生理痛(略」
fee「しかも奥さんは、また発電所に行きたがっている。末期の電波中毒ですね。そのうちご近所誘って発電所に行くようになります。そして新興宗教、電波教の誕生……」
残響「なんかラヴクラフトっぽいな……この電波を、善きものとして読むか、禍々しいものとして読むかは読者によって変わってくるのかな。しかしまあ、確かに電波、そして物語の描写、確かに禍々しい感じもするな……」
fee「この作品を読んだ読者の方にアンケートをとって聞いてみたいですね。善きものとして読んだのか、禍々しいものとして読んだのか。それにしてもこの話、難しかったです」
残響「何が書かれているのか、ざっと読んだだけじゃ掴み切れないですね。もっとも『草地』の方が難しかったかなと思いますけど」
fee「あぁ『草地』か……次はじゃあその『草地』で行きますか」
残響「了解です」
(注1)……残響がこのように発言しているのは、昔読んだ和風伝奇/クトゥルー神話趣味漫画、八房龍之助『宵闇眩燈草紙』(やつふさたつのすけ・よいやみげんとうぞうし)の影響が濃い。漫画後半、アメリカを舞台にした「シホイガン編」にて、作中でこんな問答がある。
「そんな事はあり得んッ 正しき信仰を胸に日々悔い改め続けた正しき我ら神の子に正しき神が正しき救いの正しき恵みを正しく与えたもうに正しく違いない!!」
「神父よ、おそらく貴様等と我々では『神』の概念が違う。神とは比類なき何がしかのベクトルを持って突出したエントロピーの代名詞に過ぎん。水、風、大地、獣、路傍に転がる石コロに致るまでそれは神たりうる。神とは崇め奉り何とかして欲しいと救いを求められるモノじゃない。神とは畏れ、伏しどうか何もしてくれるなと宥め賺すモノだ。あの日、騎兵隊の虐殺戦の前夜、族長 ロッキング・ボアから俺が言いつかったのはただ一言。『あるがままなり』」
「野卑な原始宗教の言いそうな……」
(残響)
第15作目/全21作(「荒野」は除く)「草地」 P313〜342
残響評価 A fee評価 C+→読書会を経てB
残響「あらすじです。映画の撮影現場で働く夜警のおじいさん、スミスさんが主人公です。映画のセットが取り壊される事になるんですが、スミスさんはどうにか壊させまいとするんですね。そこで出てくるお偉いプロデューサーのダグラスさん。彼がオカシなスミスさんを説得しようとするんですが、しかし最後、ダグラスさんはスミスさんに逆に説得され、映画のセットは守られる。そんなお話になっています」
fee「これ、最初に読んだ時は難しい話だなぁと思ったんです。でも、こうして聞くと結構単純な話だったんですね」
残響「映画のセットの描写がやけに細かいんですよね。固有名詞(世界各国の建築物名)もバンバン出てくるし」
fee「そう。ニューヨークの聖パトリック教会とか、ロストフのギリシャ正教の教会とか、オシュコシュとかスワッソンとか、色々言われても全然イメージできなくて。ダルいなぁ、難しいなぁと思って読んでたんですけど……何てことはない、世界中のあらゆる場所が映画のセットになっていたんだな、って考えればそれでいいんですね」
残響「難しいと言えば、ぼくはスミスさんの行動原理がよくわからなかったんですが。なんでこんな撮影セットにこだわるんだろうって」
fee「そこはほら、ブラッドベリは大体昔のものをそのまま残そう、みたいな人だから」
残響「うーん……それにしてはクレイジーな……」
fee「ジオラマみたいなものでしょ? そりゃ大半の人から見たらどうでもいいものかもしれないけど、スミスさんにとってはめちゃくちゃ愛着があるんですよ」
残響「あぁ、そう見るのか。それならわかりますよ。ぼくもスミスさん側だ。どれだけ手間暇かけてジオラマを作ったと思ってるんだ!ってなりますよ *2」
fee「まぁ、この撮影セットを作ったのはスミスさんではないですけどねw ただ、P320 7行目『三十年間、わしはこの土地が育って、こんな世界になるのを、見守ってきた。この土地といっしょに生きてきたんだ。楽しいくらしだったよ』って言ってるぐらいですし、30年間働いてきた職場なわけでしょ。そりゃ愛着も湧きますって。土地開発とかと同じですよ。昔ながらの商店街を壊して、新しいショッピングモールを建てようって言ったら、嫌がる人は絶対いるでしょ。土地の所有者ではないのに嫌がって反対運動をするのは、道理としてはおかしいし、皆がそんなワガママを言っていたら何も進みませんけど……しかし、気持ちとしては大いにわかりますね」
残響「なるほどなぁ……確かにわかる。そもそも、スミスさんが抱く、虚構(撮影セット)への思い入れみたいな、そういう虚構が生み出す何かしらの『感情』が映画産業そのものを支えているとも言えますし。『虚構&感情』がなければ、映画という『創作』はそもそも成り立ちえない。そういう意味で、『虚構』を壊したくない、残したい、という気持ちもスミスさんは持っているのかもしれませんね」
fee「言われてみれば確かに、あるでしょうね……。僕はそこまで深くは読めていませんでしたけど、納得です。『火星年代記』にもそんな話がありました……」
残響「原型みたいなものなのかな。アイディアの再利用というかw やっぱり夜警のおじいさんが主人公というのも良いんでしょうね。これがもしスミスさんが美少女だったら……」
fee「ダメでしょ。大体美少女だったら『30年間』の重みが出ない。つい最近バイトで入ってきた美少女なら、『新しい職場を探してください』で終了でしょ。でも美熟女ならいいんじゃないですか?」
残響「美熟女ねぇw ロリババアみたいなのでもダメじゃないですか? ……しかし、これは差別意識なのかもしれないけど、やっぱり夜警というか、うだつの上がらなそうな職業……」
fee「まぁ金持ちだったら、自分の土地でやってどうぞ、で終わっちゃいますからね。明るそうな人はダメですね。生活に疲れてそうな人が良さげ」
残響「もう私にはこれしかないんだ、的な……」
fee「そうそう」
残響「この作品で面白いのは、ダグラスさんがスミスさんに説得されて、映画のセットを残すという結末ですね。これがもし『歩行者』の警察車だったら……」
fee「『歩行者』の警察車は文字通りひとでなしですからw ミードさんと同じようにスミスさんも捕まっちゃいますよ。しかし、そう。『歩行者』と違ってハッピーエンドなんですよね」
残響「うん、そう。優しいお話だと思いました」
fee「そうですね。なんか、難しい話だと勝手に思ってたけど、こうしてお話してみるとそうでもなかったな。面白かったです」
(注2)……対談ではあっさり流した残響ですが、これをこと細かく言っていくと、へっぽこモデラー/模型マニアとしては、激おこぷんぷん丸となってしまうカム着火怒りのファイヤー!なので流しました(古!)
何しろ模型を知らないひと、「ものづくり」を知らないひとは、こういうジオラマにかかる労力、時間も、ちょいちょいっと作るように思えてるんだからアレ。現実はマインクラフトじゃないんだっちゅうの。まずボードの設定をして、そこに粘土や発泡スチロールで地面や岩石の土台を作り、ライケンやパウダーとかで草地を表現(これでもシーナリー造形を大幅に簡略化した説明)。同時に建物をキット流用だったとしても所々改造して手を加えながら作りつつ、鉄道模型だったらフレキシ線路の処理をしたり、AFV(戦車模型)だったら全体の戦場の流れを設定したり、という作業(これでもストラクチャ造形を大幅に簡略化した説明)。そして楽しいウェザリング(退色表現=サビとか空気の質感を表現する「汚し」作業)!! そんなふうに無限に何時間何十時間も手が入れられる楽しい工作の成果を、本文であるようにバッカーン!と壊されようものなら、これはもはや「生命を賭けた時間を破壊しているのだ」と表現して差支えはないっ!! まさに激おこぷんぷん丸ですよ!(残響)
第16作目/全21作(「荒野」は除く)「太陽の黄金(きん)の林檎」 P387〜400
残響評価 A- fee評価 C+
残響「あらすじですが……これ、どう説明したらいいんです? 太陽にGo!みたいな感じですか?」
fee「冷たくなってしまった地球のもとに、太陽の熱を持ち帰ろう、というお話です。この話は、何というかおとぎ話ですね。何に似てるって、『勇気一つを友にして』ですよ。昔ギリシャのイカロスは〜ってやつ。太陽の熱でロウが溶けちゃう」
残響「神話(的)ですよね。叙事詩的というか。SFという感じじゃない。データとか数値とかも全然出てこないし。イェーツとかスタインベック、シェークスピアなどの名前も出てきて、文学的な感じはありますが」
fee「これを読めば、ブラッドベリがハードSFの作家だ!なんて口が裂けても言えなくなりますよw」
残響「イメージ重視というか……そう、イメージ表現ですね」
fee「この短編集の他作品だと『ぬいとり』に似ている感じがします。太陽の火を持ち帰るのに、杯を使うというのもいいですね。ついこないだ、*アニメの『Fate/Zero』を見ていたんですが……」
残響「なるほど、これもまた一つの聖杯伝説的な……。何回も言いますが、ラヴクラフト的な感じというか。以前注に書いたんですが、ブラッドベリはアーカムハウス出身の作家だということで、怪奇幻想小説の要素を持っているんですよね」
fee「子供がサーカスに抱く、恐怖、憧れ、畏怖のような。ブラッドベリは、そういう作品を結構描いていたりしますね。長編『何かが道をやってくる』とか、短編集『10月はたそがれの国』あたりにそういう作品が多いですが、『刺青の男』にもありました。宇宙を舞台にした神話でありながら、P399 8行目『一つかみのタンポポを持って学校から帰る小学生のような気持ちだ』というのも、いかにもブラッドベリという感じがします」
残響「ですねぇ。……この作品はこれぐらいかな?」
fee「そうですね。次はどうしましょう」
残響「『山のあなたに』あたり行きますか?」
fee「了解です。そうしましょう!」
注:アニメよりも小説版の方が、より一層お薦めです(fee)
第12作目/全21作(「荒野」は除く) 「大火事」P355〜370
残響評価 B fee評価 B+
fee「マリアンちゃんという女の子が、恋をしました。超テンションが高いので、ママとパパはウンザリ。ですが、毎日のようにご機嫌なマリアンを見て、マリアンが結婚するんじゃないかと、ママとパパは期待を始めます。しかしラスト、おばあさんが真相を語る……。そんな感じのお話です」
残響「付け加える事は特にないです」
fee「MVPはおばあちゃんかなって」
残響「いいところ全部持っていきましたからねw P368 14行目『どんな女だって、こういう時期があるものよ。大変だけど、大丈夫、死にゃしないから。毎日、別の男とデートすれば、女は立派に鍛えられるわ!』このおばあちゃんの台詞が凄いw」
fee「このおばあちゃんも、若い頃はブイブイ言わせていたんですよw」
残響「そうですね。ブイブイとww」
fee「パパは男性だからまだいいとして、ママはちょっと鈍いですよね。もう少しマリアンの様子に気を配ってあげても……」
残響「ですねぇ。パパとおばあちゃんの絡みも良かったです。P368 16行目で『あなたという人は!』と叫んだあと、P369 1行目でマリアンがやってきて、もう一度P369 3行目で『あなたという人は!』とおばあさんにむかって、繰り返すw これ、面白かったなぁ」
fee「マリアンちゃんについてはどう思いました?」
残響「うーんw ぼくは否定はしない、否定はしないけど……」
fee「ブロンドの青年、背の高い色の浅黒い人、茶色い口髭の人、赤いちぢれっ毛の人、背の低い人と、マリアンちゃんの守備範囲は結構広いですね。自由にいろんな男性と遊べばいいとは思いますが、毎日はさすがに多すぎるw せめて毎週ぐらいにしてほしいw」
残響「そうですねぇ……」
fee「このエネルギッシュな自分勝手さ、どこか『四月の魔女』のセシーに似ているような。あれですよ、トムがやってこなかった、あるいはトムに飽きちゃったセシーの慣れの果てですよ、これは」
残響「だからセシーはアンと結ばれれば良かったんですよ。しかし、ブラッドベリはこういうおてんばというか、元気な女の子が好きなんでしょうか。あまり深窓の令嬢みたいなキャラは出てこないような……」
fee「言われてみれば確かに。あと、どうでもいい点としてP359 16行目に『早春の異様なあたたかさに(温度計は五十五度を指していた)』とあります。この55度というのはもちろん……」
残響「華氏ですよね。摂氏ではなくて」
fee「そうです。でもこの華氏55度、ネットで計算してみると摂氏12.7度なんです。摂氏12.7度って、『早春の異様なあたたかさ』ですか?」
残響「うーん……」
fee「で、ですね。P362 10行目に『十月か、とパパはゆっくり計算した。「じゃあ、今すぐ死んだとして、百三十日も墓場で待たなきゃならんのか」』と言っています。パパの計算間違いじゃなければ、10月−130日ですから、5月の20日以降になりますよね。5月20日って、早春ですか? 早春で異様なあたたかさなんです? むしろ12.8度じゃ寒くないですか?」
残響「うーん……きっとカナダ寄りの寒い地域だったんでしょう、としか言えないんですよね」
fee「そう。これ以上深める材料がないんですよね。〇〇州、という地名も出てきませんし。あと、『あのなつかしい黒魔術』っていう曲が作中に出てくるんですけど、これはブラッドベリの創作なのかな? タイトルの響きがとても面白いなぁと思ったんですが」
残響「いや、これは多分『That old black magic』というジャズの曲ですね。これです」
fee「おっ、ありがとうございます! 後で聴いておきます!(追記:聴きました。軽快で楽しい曲でした)」
残響「ここに歌詞の日本語訳が載っていますが、微妙に作品内容に被っているんですよね」
fee「ふむふむ。この歌詞を参考にして読むなら、マリアンはそのうち刺されますね。男の方はこんなにマジにマリアンに惚れてるのに……」
残響「悪女というか何というか……罪作りな女の子ですね……しかしこれ、なんだか露骨にホームドラマっぽい気がします」
fee「古き良きホームドラマをブラッドベリが描くとこんな感じになるという、そんな作品だと思います」
第13作目/全21作(「荒野」は除く)「金の凧、銀の風」 P155〜166
残響評価 B fee評価 B
fee「さて、次は『金の凧、銀の風』を読みたいと思います。舞台は中国。隣り合う二つの街が、ライバル心を剥き出しにしています。片方の街が城壁を豚の形に変えると、もう片方は棍棒の形に変える、というような。最後は疲れて、仲直り。それだけの話ですね」
残響「うん、それだけですね」
fee「舞台が中国だったり、寓話チックなところがどことなく『空飛ぶ機械』に似ていると思うんですが……残響さんの評価も似たり寄ったりで……」
残響「『空飛ぶ機械』よりも低評価かな……城壁を次々に作り替えていくという発想は面白いと思ったんですけどね」
fee「これ、時代はいつなんでしょう? 中国史に詳しくないのでよくわからないんですが、内戦してるのかな? 戦国時代?」
残響「いつぐらいですかねぇ」
fee「あと、主人公の『役人』がすごく偉い感じがするんですが。この人の指示で城壁を作り替えているんですよね? なんか『市長』クラスな気がするんですが、『役人』?」
残響「原文を読んだわけじゃないのでわかりませんが、これは訳のミスじゃないかなぁ。そもそも中国でいう役人って『科挙』を潜り抜けたスーパーエリートなんですよね」
fee「『公務員試験』とはレベルが違う感じですかね。『科挙』って言うと、50歳とかまで浪人して、それでも受かれば人生一発逆転するって聞いたことがあるし……」
残響「そうですね。feeさんが想定しているのはcivil servant、いわゆる『公僕』ですが、これはofficerな気がします」
fee「そもそもこの話は、隣の町が豚の形に城壁を作り替えた事を聞いた主人公の『役人』 が、こちらの城壁をオレンジから棍棒の形に作り替えたことから、城壁作り替え戦争が始まったわけですが……隣町は本当に、喧嘩を売るつもりで豚の形にしたんですかね? 何か別の理由があって、豚の形にしただけなのに、過剰反応しているようにも思えるんですが……」
残響「うーん……それはわからないなぁ」
fee「ネットとかでもよく見ますよ。全く関係ない人が、自分の悪口を言われたように感じて突っかかっちゃう光景って。こちらは変な意図ではなく、たまたま……たとえば家畜の豚の繁栄を祈って城壁を豚の形に変えたのに、隣の町が棍棒の形に城壁を作り替えてきた。なんだあいつらは、俺たちに喧嘩を売っているのか!? やっちまえ」
残響「ネットの地獄ですなぁ。この話でぼくが気になったのは、城壁というものに込められている……かもしれないメタファーについてです。マクルーハンという人が書いた『メディア論――人間の拡張の真相』という本に、『衣服が個人の皮膚の拡張で、体温とエネルギーを蓄え伝えるものであるとするなら、住宅は同じ目的を家族あるいは集団のために達成する共同の手段である。住宅は人が身を寄せる場であり、我々の体温調節機構の拡張――すなわち、共同の皮膚あるいは衣服――である。都市は身体諸器官をさらに拡張したもので、大きな集団の必要を調整する』という文章があるんです(長いっ!w)。城壁を作り替えること……それは、こう変わっていくんだという街の意思……そんなふうにも読めるかもしれません」
fee「うーん、ブラッドベリってそこまで考えて書いてるんですかねぇ?」
残響「それはわからない……」
fee「P160 13行目『だが喜びは冬の花に似て、たちまちしぼんだ。その日の午後、使者が中庭に駆けこんで来たのである』。喜びは冬の花に似て〜の文章は良いなぁと思う一方で。『その日の午後』……城壁を1日で作り替えたってことになるんですが、さすがに無理じゃないですか?」
残響「その辺は寓話ということで……やっぱりあまり考えないで書いているような気がしてきたw」
fee「まぁ、作者が意図していなかったものを読者が読み取って楽しむというのも、それはそれで作品鑑賞としてアリじゃないかなとは思います」
残響「ですね」
第8作目/全21作(「荒野」は除く)「黒白対抗戦」 P185〜208
残響評価 B fee評価 B
(S〜E評価です)
fee「黒人と白人の野球大会のお話です。白人チームがとにかくウザいわけですが、最後に黒人チームがウザい白人をギャフンと言わせて終了……でいいんですよね?」
残響「そうですね。今の時代にはなかなかお目にかかれないような、ド直球な人種差別の話ですねぇ。まだ人種差別が単純だった頃のアメリカというか……」
fee「単純だった、というのは?」
残響「今は黒人だけでなく、ヒスパニックとかアジア系とかイスラム系とか、本当にいろいろあるじゃないですか。【人種のるつぼ】というか、複雑化してわけがわからなくなっているというか」
fee「あぁ、なるほど」
残響「それに、この描写の仕方も何というかステレオタイプというか……。黒人はマッチョで、運動能力が高い。でもブルーカラー(肉体労働者階級)。みたいな……。feeさんはこの作品、どう思いました?」
fee「とりあえず、ここに出てくる白人はバカだなぁと」
残響「バカですかw」
fee「この野球大会、白人にとってはどうでもいいイベントですよね。黒人の不満をガス抜きする、年に一回の野球大会なんだから、気持ちよく黒人に勝たせてあげればいいじゃないですか。どうせ明日からはまた白人の天下なんだし、良い気分にさせてあげるのが本当でしょ。ガス抜きの場で差別行為をしたり、黒人の神経を逆なでするような真似をするとか、バカ以外の何物でもないと思いました」
残響「まぁ、ガス抜きの場で、うまくガス抜きさせてあげられないのは、往々にしてあることですが……」
fee「それはまぁそうですけども……ところで、黒人は基本いい奴に書かないとまずい、みたいなお約束が、昔のアメリカ小説にはありましたよね」
残響「ありました、ありました」
fee「でもそれが逆に差別だ、みたいな話もあって。僕なんかは、自分たちが良く描かれるならいいんじゃね?とか思っちゃうんですが、どうなんでしょう? 悪く描かれるよりはよほどマシだと思うんですけど……」
残響「アファーマティブ・アクションという言葉はご存知ですか?」
fee「え、なんですって?」
残響「これなんですけど社会的弱者に対する救済を目的とした優遇措置的なものなんですが、それが逆に差別だという話も……」
fee「奨学金とかもそうなんですか。うーん、言わんとしている事は解るし、差別だと感じる人もいるかもしれないけど……個人的にはよく解らないなぁ。欧州サッカーでも、ホーム・グロウン枠……自国人枠みたいな考え方があるんですけど、それが差別だという弾劾はあまり聞いたことがないですし。これらがない方がよほど問題ある社会になりそうな気がするんですが……」
残響「差別というのは相手を見下すだけでなく、妙なコンプレックスとか憧れを内包していたりもするんですよね。たとえばジャズの世界では、『黒人にしか本物のジャズは演れない』ということを、黒人だけじゃなく、白人でも本気で言う人がいるんです。そこには自分たちではどうしても至れない、って白人が勝手に思ってるある種の憧れ(コンプレックス)がある……と思うんですよ。この『黒白対抗戦』でも、主人公のママが黒人に対して抱いているのは、憎しみだけでなく、優れた身体能力への嫉妬というか。だらしない白人チームへの苛立ち、そういったものがまた、黒人への憎悪を強くしている気がします」
fee「なるほど……確かに単純な見下しだけではないんでしょうね」
残響「黒人への憧れを表すような形で、白人が自分の肌を黒く塗って行う芸がありました。ミンストレル・ショーというんですが、時代が進むにつれて、それもまた差別の色合いが濃くなってしまい、結局廃れていったという……」
fee「本来持っていた精神から離れてしまったんですね。元はガス抜きの大会として企画された野球が、いつの間にか憎しみを募らせるイベントになってしまったように」
残響「しかしブラッドベリは完全なハッピーエンドは書きませんね。この野球大会を機に黒人が認められて……みたいな話にはならない。明日からはまた元通り、黒人は白人の奴隷……までは行かずとも、使用人的な(奴隷ではないまでも)」
fee「これでいきなりハッピーエンドを書かれても白けちゃいますけどねw まぁ、主人公の少年が、人種のしがらみに捉われていないのは救いな気がします。それも今後どうなるかはわかりませんが……。『黒白対抗戦』はこんなところでしょうか?」
残響「そうですね。次も社会風刺系で『日と影』あたり行きませんか?」
fee「え、社会風刺? 『日と影』はギャグコメディじゃないんすか?」
残響「えっ!?」
fee「えっ!?」
残響「なんだ、この読み方の違いはw」
第9作目/全21作(「荒野」は除く)「日と影」 P295〜312
残響評価 B fee評価 A
fee「リカルドという困ったおっさんがいまして。このリカルドさんが住む地区にカメラマンがやってくるんですが、リカルドさんがことごとく邪魔をするお話……で合ってますよね?」
残響「大丈夫ですw このリカルドさんを、ぼくは下層階級……というと言い過ぎかな。【持たざる者】として読んだんです。持たざる者が、精一杯の反抗をするような」
fee「なるほど」
残響「言っていることは無茶苦茶なんですが、何かもっともらしい事を言って邪魔をするw 本を読んでいるという、知識人アピールをするのも面白いですね。P301 1行目『おれの本を出して見せろ!』と、リカルドは叫んだ。5行目『階上(うえ)には、まだ二十冊もあるんだ! と、リカルドは叫んだ。お前さんの目の前にいるこのおれは、無学文盲の田舎っぺじゃないぜ。ちゃんとした一コの人間だ!』威張っている割に、20冊『も』というのもいいですねw」
fee「本をたくさん持っているのが偉いとは言いませんが、20冊で威張られてもw」
残響「ですねw 無茶苦茶なリカルドさんですが、なんか憎めないというか、結構好きだったりします」
fee「僕もリカルドさん好きですよw」
残響「まぁ、いちいちズボンを下げるのは擁護しませんけどw」
fee「それも面白いじゃないですか。この人、奥さんいるんですよね。よく結婚できたなぁ……」
残響「リカルドさんって、そもそも働いてるんでしょうか? なんか何もしてなさそうな気が……」
fee「この性格じゃ雇われ人は無理だなぁ。きっと頑固一徹な職人とか……」
残響「この道、ひと筋的な? リカルドさん、格好いいですね!」
fee「ごめん、P300 8行目で『おれも雇われている人間だ』って言ってるわ……」
残響「リカルドさん頑固職人のイメージが台無しw」
fee「真面目に働いて、結婚して、子供もいるはずなのに、何だろうこのリカルドさんのフリーダム感……社会不適合者の遊び人にしか見えない……」
残響「feeさんはこの作品をギャグだと仰いましたけど……」
fee「単純に笑えるなぁってw 残響さんと比べて、僕は難しいことを考えたりはしていないので……。カメラマンの行く先に付きまとって、モデルを撮ろうとするたびに、後ろでズボンを降ろすおっさんとか、超笑えるじゃないですかw 『帰り道、坂の途中に、さっき壁に小便をひっかけた犬がいた。リカルドは犬と握手した』の〆も完璧w この短編集にはいくつかギャグ作品も入っているんですが、これが一番笑いましたw」
残響「ぼくはどうしても、行間に隠された何かの意味を読み解こうとしたがるというか。暗喩を探そうというか、そういう読み方をしちゃうんですよねぇ」
fee「それはそれでいいんじゃないですか? 僕なんて頭が単純だから、そのまま受け取る事しかできないですよw 暗喩を考えるほど知識もないし……」
残響「いやいやw feeさんのように素直に物語を楽しんでいる方と比べて、自分が物語というものを、さほど好いていない、自分にとって物語は【距離がある】、自然じゃない……んじゃないかなぁと思ったりもして……」
fee「暗喩を考えながら読む読み方と、素直に楽しんで読む読み方を両方やればいいんじゃないですか? なんなら2回読むとかして。多くの人は素直にしか読めないと思いますよ。残響さんは作品を読み解く力を持っている分だけ、アドバンテージがあるような気がするんですけどね……」
残響「好きな作品なら、やたら再読はするんですけどね……さて、この作品はこんなものかな? 次は、『夜の出来事』あたり行きますか?」
fee「いいですね、行きましょう」
第10作目/全21作(「荒野」は除く)「夜の出来事」 P283〜294
残響評価 B fee評価 B
fee「息子を軍隊に取られたかわいそうなナバレス夫人。この女性が、大声で嘆き叫んでいて、アパートのみんなは迷惑しています。そこでビリャナスールさんという既婚者の男性が、ナバレス夫人を慰めて、めでたしめでたし、と。こんな感じですかね」
残響「ですね」
fee「主人公のビリャナスールさんが、完璧にエロゲ主人公な件について……」
残響「えっ? どういう意味ですか?」
fee「これは、ビリャナスールさんが無双する話ですよね? 奥さんがいるビリャナスールさんが、狙い通りにナバレス夫人もゲットして、奥さんにも今まで通りにモテるっていう圧倒的主人公力……」
残響「色恋の話だったんですか!?」
fee「そうですよ! P289 8行目のビリャナスールさんの台詞『わたしたちのなかから、親切な男性が一人あらわれればいいのです』」
残響「普通に親切にするんじゃなくて?」
fee「普通に親切にするのなら、男性に限定する必要がどこにもないんですよ。むしろ、女性が行った方がいいでしょう。ナバレス夫人に『親切にする』……この表現がもういやらしいですよw」
残響「なるほど……そう読むのかw」
fee「露骨に既婚者であることを強調したり、P290 7行目『人々は照れくさそうな表情で』あたりからも読み取れると思います。しかもこれ、ナバレス夫人のところに『親切な男性が慰めに行く』ことを提案し、強硬に推し進めているのはビリャナスールさんという。最初からナバレス夫人を狙っているようにしか見えないw」
残響「ww」
fee「ビリャナスールさんが行ったらナバレス夫人は静かになるし、とどめにP294 1行目『あのひとは思慮ぶかい人だわ、と目をとじて(ビリャナスール)夫人は思った。だからこそ、わたしはあのひとを愛しているのよ』と何故か奥さんには改めて愛される。どんだけイケメンなんすかw」
残響「ハーレム系主人公を慕う、都合の良いエロゲヒロインみたいな奥さんですねw いや、そんな話だったんですかw 色恋の話だったとは……(本当に色恋の話だと気づかなかった)」
第11作目/全21作(「荒野」は除く)「ぬいとり」 P175〜184
残響評価 C〜? fee評価 B
fee「この、『ぬいとり』も残響さんはよくわからなかったと仰っていたような……」
残響「そうですね。書いてある事そのままというか、完成されすぎているというか……」
fee「書いてある事そのままなら、むしろわかりやすいのでは……?」
残響「そこがぼくの悪い癖で。これは何の暗喩だろう、とか考えちゃうんですよ。で、そういう暗喩をちりばめるような作家は、たいていもう少しわかりやすいヒントを出すんですが、ブラッドベリは……というかこの作品は、そのヒントがない。だから暗喩ではなく、そのままなんでしょうけど……」
fee「そのままでいいような気がするんだけどw あらすじですが……世界が終わりを迎える直前、三姉妹が針仕事をしています。そして世界が終わる。という話です。この三姉妹、どうもこの世の存在ではないような、そんな気がしてならないんですが……」
残響「ですよね。魔女的な存在というか、神話上の存在というか……ラヴクラフト的というか、むしろダンセイニ卿的な幻想小説というか……(残響注)」
fee「五時ちょうどに世界が終わる、というのも何か人為的なような、不思議な感じがしますね。P182 1行目『だまされたのかもしれないわね』 4行目『昔のおまじないを本気にしたのは』、この辺りを読む限り、なんかノストラダムスの大予言みたいなものに、『五時に世界は終わる』と書かれていて、この三姉妹はそれを信じちゃったと」
残響「はい」
fee「ちょっとこじつけくさいんですが、この『ぬいとり』の世界を、マトリョーシカ的な入れ子構造として読むこともできるかな、と」
残響「ん? 入れ子構造? どういう事ですか?」
fee「つまり、『三姉妹がぬいとりをしている世界』が世界B、『三姉妹に、ぬいとられている世界』を世界Cとして。この『世界Bを、ぬいとりで表現している』更に上位の世界Aが存在するのではないか、と」
残響「へぇぇ……なるほど。それは面白い読み方ですねぇ……」
fee「P182 15行目〜最後までの16行分。ここにこの作品の全てが隠されているような気がします。世界の終わりを告げる『火』、『燃える』という単語。『ぬいとりの太陽』、『心臓は今や火にぬいとりされたやわらかな赤いバラだった』。ここで描かれている世界の終わりとは、『世界Bを表現していたぬいとり』が世界Aにおいて燃やされたという、そういう話なのではないかと……」
残響「そういう読み方ができるなら、ぼくはこの作品の評価をもっと上げたいですね。神話だ、と思って読んで、それで終えてしまったので……その構造的読み方でもう一度読んでみようかなぁ」
fee「わずか7ページの作品なので、もう一度読んでみるのもいいですよね。これが50ページの作品とかだと、ちょっとしんどいですけどw」
(残響注 残響はH.P.ラヴクラフトと、ダンセイニ卿(ロード・ダンセイニ)の大大大ファンです。なのにこのブラッドベリ神話的作品を、なぜきちんとその路線で読めなかったかバカチン! っていうか、feeさんに教えられて知ったのですが、ブラッドベリってオーガスト・ダーレス(ラヴクラフトの一番弟子)の出版社・アーカム・ハウス出身の作家だったのかよぉぉぉおおおお!!! しらなかった……アイムバカチン……)
第4回に続く……(「大火事」など)
第4作目/全21作(「荒野」は除く)「空飛ぶ機械」 P125〜136
残響評価 C+ fee評価 B
(S〜E評価です)
fee「さて、次は……同じ社会風刺系作品ということで『空飛ぶ機械』行きますか。残響さんも低評価をつけているみたいですし」
残響「行きましょう。あらすじ(※注1.)をお願いします」
fee「はい、西暦400年、元の国の……元?」
残響「そこなんですよ!」
fee「あれ、元ってモンゴル帝国とかですよね? 元寇とかの。時代違いません?」
残響「そうなんです。ぼくもちょっと調べてみたんですけど……」
fee「五胡十六国時代とかでしたよね、確か。その中に元って国はあったんでしょうか? 同名の……国被りというか」
残響「いや、ないんです。だからこれ、時代考証が間違ってるんじゃないかなと」
fee「時代が間違ってるというよりは、何も考えないで書いてるだけなのでは……とりあえず実在する五胡十六国の国名にすれば良かったのにとは思いますが……P127 l1に『万里の長城に守られ』とあるので……」
残響「万里の長城以降の北方民族(例えば匈奴)じゃダメですけど、漢民族の国にすれば良かったんじゃないかなぁ。ていうか、そもそも中国である必要すらない気がしますね。多分、適当な国を思いついて書いただけなんだと思います。厨二病作品で、適当なドイツっぽい名前(※注2)をつけた、みたいな」
fee「なんか凧みたいな機械で空を飛んだんでしょ? まぁ中国っぽいイメージはあるのかなぁ。でも確かに、中国にこだわる必要もないですね」
残響「アメリカだと時代的にまずいかもしれませんが(アメリカには中世はない)、トルコとかでもいいんじゃないかなぁ。そういえば、あらすじが途中でしたね」
fee「はい。えーと、古代中国で発明家みたいな人が、空を飛ぶ機械を作ったんですね。で、空を飛んでたら、皇帝に見つかって殺されてしまった、というお話です」
残響「先ほども言いましたが、ぼくはどうも出だしでいきなり萎えてしまいました。『西暦400年のこと、元の国の皇帝は』ここでもうハァ?という感じで……」
fee「うん、まぁこれはブラッドベリが悪いです。悪いですけど、そこはスルーしてあげるのがブラッドベリの楽しみ方ですよw」
残響「うーん。自分はひょっとして純文学的な読み方をしているのかなぁ」
fee「真面目なSF読み的な感じもしますけどね。ブラッドベリは真面目にSFを描く作家じゃないので、その辺は適当に読んだ方が楽しめますよ」
残響「feeさんが、ブラッドベリはガチなSFじゃない、と言っていたのはこの辺のことですかw」
fee「ですね。まぁ、ここで引っかかってしまったなら仕方ないし、残響さんの読み方が悪いというよりは、ブラッドベリの方が悪いですね。せめて架空の国名なら良かったんですが、実際の国名と被っちゃいましたしね。ところでこの皇帝の判断はどう思いますか?」
残響「皇帝はちょっと狂っている感じですね」
fee「狂っていますか」
残響「いきなり『首をはねよ』ですし……」
fee「まぁそれは確かに……ただ、この皇帝の判断自体はどうなのかなと思って。機械と発明家を殺した事についてですけども。皇帝が狂っている、と仰ったということは残響さんは、機械を残した方が良いという事かなと思うんですが。しかし、機械を残すことによって、100年後にはグレードアップした空飛ぶ機械が爆弾を抱えて、この元の国を滅ぼしてしまうかもしれません。この発明家を殺したことによって、100年後も元の国は平和かもしれませんよね」
残響「ただそれは一方で、この機械を残しておけば100年後には、進化した空飛ぶ機械で遠隔地に薬を届けて、多くの生命を救えるかもしれないじゃないですか」
fee「そう。だからこれに関しては、絶対の正解はないと思うんです」
残響「進歩主義か現状維持……保守主義かという違いなんでしょうか」
fee「皇帝が狂っているかどうかはわかりませんが、ビビッてはいますよね。P135 2行目『大いなる困惑と恐れ』と言っているように」
残響「ビビっている、なるほど、そうか。ビビっている」
fee「狂っている、とまで言っちゃうと難しいんですよ。何が正常か、という話になっちゃって。あまり踏み込みたくないので適当に濁しますけど、政治的運動や思想信条の運動って、傍から見ると狂的なものを感じさせたりもするんですが、実際に狂っているかどうかはよくわからないですよ。誰が判断するのか、という話で。これがたとえば後天的な精神病とかならわかりますよ。精神病に罹る前の自分と比べて、『あっ、今の自分はおかしくなってる』って判断できますから。でもこういうのは……」
残響「狂っている、という単語の取り扱いは難しいですね。ちょっと気をつけた方がいいのかな。あるいは、狂気、狂っているっていう言葉の定義の違いかもですが」
fee「いやまぁ、咎めだてしたいわけじゃないんですけどもw」
残響「面白いのは、発明家の方も奥さんに狂人扱いされているんですよ。P131 8行目『わたくしの妻でさえ、わたくしを狂人あつかいしております』」
fee「まぁ凧みたいなので空を飛んだら、そりゃ狂人ですね」
残響「その辺は、発明家の性でしょうなぁ。新しいものを始める人間は、理解されないという……皇帝が狂っていると言ったのは、このP131 8行目の表現があったからなのかなぁ」
fee「でも、ここで狂人扱いされているのは皇帝じゃなくて発明家でしょ?」
残響「そうなんですけどね。引きずられたというか。いきなり『首をはねよ』だし。昔の中国の皇帝っぽいっちゃ、っぽいですけども。あと面白かったのはこの科学的な発展を、美に絡めて描いていることかなと」
fee「この作品では空から見た風景の美に言及していますけど、この調子で科学が発展すれば、いずれは自然を壊し風景の美も失われてしまう、とか、そういう感じで……」
残響「あぁ、そうか。いや、ぼくの想定してたのは、もっとこう、ノスタルジックな美的精神かと……」
fee「自然を壊すというのだって、ある意味ではノスタルジーじゃないですか。もちろん、自然を破壊して良いとは言わないけれども、自分たちが住みよい世界を作るため科学技術を発展させて行った結果生まれたのが、今の世界なわけで。そんな住み心地の良い世界から、昔は自然があって良かったなぁ、住み心地が良かったなぁというのはある種のノスタルジーではなかろうか、と」
残響「なるほど……」
fee「ブラッドベリの考えが単純な、『科学の発展=大正義』ではないというのがこの短編からも解りますね」
残響「そうなんですよねぇ。もっとも、最後の行の『鳥どもを見よ、鳥どもを見よ』あたりを読む限り、ブラッドベリが科学発展を忌み嫌っているわけでもない、とは思いますが」
fee「そうですね。皇帝を擁護はしてないですね。突き放してはいる。ただ、それはそうなんですが、科学発展万歳!明るい未来万歳!みたいな話は僕が記憶する限り、描いてないんですよ。どっちかと言うと、行き過ぎた科学発展には反対のような……。もちろん、科学発展というのは、基本的に良い事だとみなされていますよね。SFを描いたり読んだりする人の間ではなおの事そうでしょうから、カウンター的に『本当にそれでいいのか?』とブレーキをかけているだけかもしれませんが」
残響「疑義を呈す、みたいな」
fee「ですです。……って、またもや随分話しましたね。これ9ページの作品なんですけど……」
残響「まさかこんなに話すとは思いませんでしたw」
fee「次はどの作品に行くかなんですが、さっき『狂っている』という話があったじゃないですか。狂っている繋がりで、『鉢の底の果物』に行きませんか?」
残響「ぼく、この作品、意味がわからなかったんですよ。なのでミステリも読まれるfeeさんにお聞きしたかった作品なんです」
fee「ちゃんとお答えできるかわかりませんが、やってみましょう」
(※残響注1. 残響はあらすじをわかりやすく纏めるのがすごく苦手。なので毎回feeさんに頼んでいる。ごめんなさい)
(※残響注2:デア・ヴィッセルクンフト・ヴィーターゼーエンブルグみたいな。2秒で考えた。ドイツ語定冠詞もあやふや。それにしても完全に語感オンリー。「アウフ・ヴィーターゼーエン=じゃあね」って具合だし)
第5作目/全21作(「荒野」は除く)「鉢の底の果物」 P81〜102
残響評価B- → B+(読書会を経て上方修正) fee評価 B
fee「というわけで、鉢の上の果物です」
残響「底ですね」
fee「あ、鉢の底の果物だった……。あらすじは、アクトンさんというちょっとおかしい人が、ハクスリーさんを殺しまして。証拠隠滅を頑張りすぎて現場に留まり続けた結果、最後は捕まっちゃうんですけど……残響さんはどこがわからなかったのかな?」
残響「何を描きたかったのかがさっぱりわからなかったです」
fee「これは、強迫神経症の話ですよね」
残響「ああっ!?」
fee「えっ? 違いました?」
残響「いや……そうかも……というかそうですね。そうだったんだ……!!!」
fee「アクトンさんはおかしいんですよ。ある程度証拠を隠滅したらさっさと逃げた方がいいのに、ずっと居続けて結局捕まっちゃって」
残響「ぼくは単純に犯人側視点のミステリとして読んだんですが、単純に証拠を隠そうとして捕まっただけの話だと思っちゃって。なんでこんなに描写がねちっこく細かいんだろうとは思っていたんですが」
fee「P99 13行目『かれはリンネルの布を見つけて、椅子を拭き、テーブルを拭き、ドアのノブを拭き、窓枠を拭き、棚を拭き、カーテンを拭き、床を拭き、台所に入ると、息を切らして、上位を脱ぎすて、手袋をなおして、きらきら光るクロミウムの流しを拭いた』と、こんな感じですからね」
残響「普通のミステリってこんなに描写するものなんですか? 倒叙モノ……犯人視点のシーンとかの話ですけど……」
fee「うーん。多少はするかもしれませんが、ここまではあまりしないんじゃないかなぁ……」
残響「ですよねぇ。それに、たまに時間軸もおかしくなるんですよね。現在のシーンの中に、唐突に生前のハクスリーのセリフが出てきたり」
fee「この辺はブラッドベリの巧さだと思います。時間軸がおかしいのは、現在と過去がたまにごっちゃになる、アクトンさんの頭の中のヤバさを表していますし、描写が緊密なのもアクトンさんの強迫的な心理を表現しているんですね。描写が適当だったらこの話は全然面白くないというか、成り立たないですよ」
残響「描写の細かさは『空飛ぶ機械』とは大違いですね!w」
fee「『空飛ぶ機械』は寓話というかおとぎ話みたいな感じですからね。鉢の上の果物があの描写だったら……あれ、鉢の底だっけ」
残響「www」
fee「なんで上って言っちゃうんだろw まぁ気にしないで下さいw で、残響さんがわからなかったところというのは……」
残響「強迫神経症の話だ、というfeeさんの話を聞いて、パズルのピースがカチッとハマるように理解できました。そういう話だったんですねぇ。ぼくはミステリだと思って読んだので……」
fee「これはミステリじゃないですよ……少なくとも、謎解きみたいなそういう話じゃないです」
残響「そうだったんですね……今までその観点で全然話を読んでなかったのです……うわー、この得心のいきまくる感じ」
fee「これは読書会を開いた意義がありましたね。一人だとよくわからなくても、二人で話せば新たな発見があるような、そういうのがあると面白いですね」
残響「ほんとですよ。ぼく、以前実際に、強迫神経症になっていたことがあるんです。不安で不安で、大丈夫だと解っているのに何度も確認せずにはいられなかったりして。アクトンさんの行動も、割と普通なこと※注1.として読んでしまったw」
fee「まぁ、何度も確認してしまうというのは、分かります。不安というのはそういうものじゃないですか?」
残響「そうなんですけど、ぼくはずっと水道の蛇口を閉め続けたりとかしてたんですね。それは水道の蛇口が開いていたら、来月の水道代が怖いとか、そういう事を考えて延々蛇口を閉めたり……」
fee「うーん……。僕も何か不安があった時に、延々ネットで成功例や解決法を調べ続けてしまったりとかしたことがあるので、あまり他人の事は言えないんですが……どこまでがただの心配性で、どこからが強迫神経症なんだかよくわからないですね」
残響「強迫神経症の特徴として、儀式化するというのがあるんです。たとえば、不安があった時に解決法を調べるのは、一応『不安を解消する』ことに間接的に繋がるじゃないですか。でも、たとえば『朝起きたら3回南の方に向かって土下座をすれば、うまくいく』みたいな儀式を自分で勝手に作って、それを守らないと落ち着かない、みたいな……。土下座をすることと、うまくいくことには何らの因果関係もないはずなのに、してしまうんですよ※注2.」
fee「うーん……それは確かによくわからない話だけど……よほど失敗したくない事に対して、神頼みをして、それも全国の神社を回って歩いたりしたら、これは強迫神経症なのか、とか。近所の神社だけなら違うのか、とか……境目がやっぱりよくわからないですね。ただ、なんだろう。今、僕もあまり元気じゃないせいか、この話にはなるべく深入りしたくないですw 読書会を開いておいてこんな発言しちゃいけないかもしれませんが……」
残響「いえ、まぁやめましょうかw 次はどうします?」
fee「軽めに『ごみ屋』あたりどうでしょう?」
残響「じゃあ『ごみ屋』行きますか。と言っても、ぼく結構この話、語りたい事が多いんですけど」
fee「あ、そうなんですかw」
(※残響注1.ナチュラルな誤読とはこういうことを言う)
(※残響注2.妄想的思考とはこういうことを言う。これが精神病だ!!!!)
第6作目/全21作(「荒野」は除く)「ごみ屋」 P343〜352
残響評価A fee評価 B
fee「辛いながらも楽しく仕事をしていた、ごみ収集業者の主人公。ある日、仕事内容に死体処理も加えられ、心底仕事が嫌になってしまった。というお話です」
残響「この話はまず、描写が凄くいいですね。P346 3行目『オレンジの皮や、メロンの種や、コーヒーのだしがらが、一時にどさっと落ちて、からっぽのトラックがだんだん埋まってゆく。ステーキの骨や、魚のあたまや、玉ネギの切れっぱしや、古くなったセロリは、どこの家でもよく捨てる』。ぼくはリアル仕事で、食品加工業に携わっていまして、実は。仕事柄こういうゴミトラックなどで作業をしたことは日常的にあったんですが……コーヒーのだしがら……古くなったセロリ……すんごい臭いんですよ。よくわかるなぁ……リアリティを感じます」
fee「なるほど……僕はゴミトラックでの作業経験はないので想像することしかできませんが、そうなんですねぇ……」
残響「ほんっと臭いですよ。でもですね、P346 14行目『ひと月に一度か二度、かれは自分がこの仕事を心から愛していることに気がついて、自分でもびっくりする。そしてこんなすばらしい仕事はほかにありゃしないとも思う』、わかりますよ。辛い作業でも、ふっといい仕事をしてるなと感じる時はあるんですよね」
fee「僕はゴミトラック経験はないので、本当に大変な仕事だろうなぁと思っています。生ごみにウジ虫とかが這っていたりするのかなぁ、うぇぇ……俺には無理かも……みたいな」
残響「夏場、ハエがたかっていることはありますね……ふつうふつう」
fee「ハエぐらいなら大丈夫かな。もちろん、相当嫌ですけどw それに、作品内の描写だとウジっぽいのも湧いていますからねぇ。まぁこれはゴミトラックに限らず、僕が就いた事のない仕事全般について大体はそうですね。大変そうだなぁ、よくできるなぁって。
就活なんかだと、覚悟を問われたりするじゃないですか。ネット上でも仕事の楽しみを語る人よりも、愚痴を書く人の方が多いし。だからものすごく、しんどい事をやらされるんだろうなぁ、って思ってしまう。でも、意外となんとかなったり、その仕事に携わった事のない人には分からない、小さな楽しみを見つけられたりするんじゃないかなぁとも思っています。同業者あるあるじゃないですけど、『この仕事は本当につらいよなぁ。でも、こういう事があるからやめられない』みたいな」
残響「このごみ屋さんも楽しくやってたんですよ。なのに……これ、ほんとかわいそうな話ですよ。死体処理の仕事を新たに加えられて……」
fee「その仕事に縁がない僕から見たら、ウジ虫とかは本当に大変だし、死体処理も……程度が違うとはいえ、やっぱり大変だし……と思っちゃいます。でも違うんですよね」
残響「全然違いますね。ゴミの処理と、死体の処理は全然違います。ゴミはどこまでいってもゴミですが、これが人間だと、初期の大江健三郎(※注1.)じゃないっすか……。ぼくもリアルに人間の死体の処理をやらされたら当然かなわないですよ。……でも、食品を扱う仕事に関するぼくの妙な達成感とかもそうなんですけど、自分自身では、仕事……生業(なりわい)に納得してるんですよ。そこに、【人の死体】という明らかにカテゴリ違いのものがぶち込まれる。勝手な仕事を上層部から。その悲劇です」
fee「でも外野にはそれがわからない」
残響「うん。外野の、想像力の欠如」
fee「だから死体処理をごみ屋さんの新たな業務内容に平気で加えちゃう。主人公の奥さんも、政治家と同じ立場ですよね。ごみも、死体も、何が違うの?みたいな。僕もひょっとしたらそういう反応をしちゃうかもしれないです」
残響「でも、主人公から見たら全然違う仕事なんですよ。全く違う」
fee「ですよね。これ、勝手に転職させられちゃったようなものですよね」
残響「なのに、奥さんも子供もいるし辞められない。つらいですよ……」
fee「P350 2行目『トムとおれがやってたみたいに、遊び半分のような気軽なやり方でやれば、こんな面白い仕事はないんだ。ゴミにもいろいろあってな。金持ちの家じゃステーキの骨、貧乏人の家じゃレタスやオレンジの皮だ。馬鹿みたいな楽しみだけれども、どうせ仕事をするんなら面白くやるに越したことはないだろう』。僕が良いなぁと思ったのはこの文章ですが、携わった経験のある残響さんから見てもリアリティがあるなら、やはりきちんと取材したんでしょうね」
残響「ですね。あるいはブラッドベリも何かの形で経験したのかもしれないですね。アルバイトをしたとか」
fee「この、他人から見たら似たように見えるけど、自分的には全然違うというの、僕も解りますよ。たとえば、この対談記事は僕が文字起こしをして、色付けやリンク張りは残響さんにお任せしているんですが、僕、文字起こしするの結構楽しいんです」
残響「マジですか!? ぼくはいつも、feeさんには凄い負担をかけてしまっているなぁと思っていました。自分でやってみたら、大変だったので」
fee「そりゃ楽とは言いませんが、エロゲー批評空間に長文感想を投稿するのと同じような楽しさがありますね。あるいは、長文ブログ記事を書くような。でも、色付けやリンク張りなんかは、すんごい面倒に感じちゃいますね。しんどくて心が死にます」
残響「全然逆ですねw ぼくは色付けやリンク張りなんかは普通にできます。何の問題もない」
fee「うまく役割分担ができてますねw しかし、主人公はこの後どうするのかなぁ……」
残響「そればかりはわからないですね……」
fee「作中に、1951年12月10日付けのロサンゼルス、とやけに具体的な日時が出てきますが、さすがに実際にあったことじゃないですよねw?」
残響「さすがにないでしょうw メキシコとかならあるかもですけど……」
fee「朝鮮戦争の後、くらいですか。赤狩りとか」
残響「ですね」
fee「SFを読みたいということで、残響さんはこの本を読まれたとのことですが……この話はSF要素が全然ないですね。さっきの『鉢の底の果物』も全然SFじゃないし、短編集全体を見渡してみてもSF色はあまり強くないような……」
残響「そうですね。『ウは宇宙船のウ』とか、そういうタイトルを知っていたので、もっと宇宙とかをたくさん書く作家なのかと思っていました」
fee「他の短編集では結構描いてたりもするんですが……この短編集だと宇宙は全然出てこないですね。『荒野』と、最後の『太陽の黄金の林檎』ぐらいでしょうか……違う短編集を薦めれば良かったかなぁ」
残響「ははは。楽しんで読めているので大丈夫ですよ」
fee「それは良かったです。さて、次はどうしましょうか?」
残響「『四月の魔女』あたりどうですか? 百合的に色々熱く語っちゃいますよ?」
fee「え、百合要素なんてあったっけ……?」
(※残響注1.大江健三郎のデビュー作「死者の奢り」のこと。1957年。死体洗いのアルバイトの話)
第7作目/全21作(「荒野」は除く)「四月の魔女」 P39〜60
残響評価A fee評価 A
fee「主人公は魔女のセシーです。セシーは人の身体に乗り移る能力があります。ある日、セシーはアン・リアリという少女の肉体に乗り移って、トム少年に恋をします。アンはトムには興味がないんですが、トムはアンが好きで、アンに乗り移ったセシーもトムが好き、という関係性です。アンの身体に乗り移ったセシーとトムは、いい雰囲気になります。最後にセシーは、セシー自身の家をトムに教えて、アンの身体から離脱します。ちょっと長くなりましたが、そんなあらすじになっています」
残響「最初の1行目から本当に、情景描写で文章が展開していくのがいいですね。筆がノッてる。『空高く、谷を見おろし、星空の下、河の上、池の上、道路の上を、セシーは飛んだ。春先の風のように姿は見えず、夜明けの野原からたちのぼるクローバーの息吹きのようにかぐわしく、セシーは飛んだ』」
fee「いいですねぇ。じっくり味わいたくなるような文章ですね」
残響「しかも、セシーとアンの百合ですよ!」
fee「いや、そういう話じゃないですけどねw」
残響「アンの身体に乗り移ったセシー。アンは最初抵抗するも、段々……」
fee「セシーが好きなのはトムですよw」
残響「トムなんてどうでもええねん! セシーとアン、二人の世界が展開されているんですから、トムなんてどうでもいいんですよ!」
fee「じゃあそれは、残響さんが二次創作ということで書いてくださいw 書くならこのブログからリンク張りますよw」
残響「じゃあタイトルは『五月の魔女』で。うわー安直」
fee「それで思ったんですけど、『四月の魔女』ってタイトルは良いですね。これが『八月の魔女』だと違う気がする」
残響「確かに違いますね」
fee「こういう話はやっぱり春か秋が似合うかな。夏や冬じゃ違いますよね。春一択かな」
残響「春でしょう」
fee「で、ですね。これ、かんっぺきに少女漫画の世界ですよね」
残響「わかりますw」
fee「ノリノリで書いている感じがします。瑞々しさがとても良い」
残響「青春ですね」
fee「ブラッドベリは少年主人公、少年の瑞々しい感性を描いた作品は多いんですが、少女は珍しい気もします。でも、『四月の魔女』を読んでいると、女の子主人公も全然いけますね。少女漫画家の萩尾望都さんが、ブラッドベリの短編をいくつか漫画化しているんですが、残念ながら『四月の魔女』は入っていません。この短編集の中だと『霧笛』は漫画化されていて、というのは余談ですが……」
残響「『四月の魔女』は大島弓子か、いっそ陸奥A子がいいかな。萩尾望都とか大島弓子とかは『花の24年組』と言われ、少女漫画古典黄金期の…………」
fee「少女漫画にも興味があるので、このままお話を伺いたい気もしますが、とりあえず『四月の魔女』の話をしましょうw」
残響「わかりましたw」
fee「さて、セシーはトムが好きで、トムはアンが好き。でも、アンはトムの事はどうでもいいんですよね」
残響「そうですね。眼中にない感じw」
fee「アンの身体に乗り移って、セシーはトムにアタックをかけるんですが、アンはもちろん抵抗します。身体を操られて、好きでもない相手と恋愛させられそうになっているんですから、当然っちゃ当然ですね」
残響「そもそも、トムにあまり魅力を感じないんですけど。セシーはトムのどこがいいんだろう」
fee「普通の男の子ですね。あまり描きこみはされていません。でも重要キャラですよ」
残響「重要ですか?」
fee「百合を求める残響さんには申し訳ないですが、トムが、というか、トム的な立場のキャラクターは重要ですよ」
残響「トム的な立場、か。まぁ、それは確かに……」
fee「セシーがトムを好きな気持ちがどこまで真剣かは謎ですけどね。そもそも会ったばかりでしょ?」
残響「ですね。恋に恋してる感じがします」
fee「そう。だってトムと会う前からP42 2行目「『恋をしたい』と、セシーは言った」と書いてありますし。別にトムじゃなくても良かったんですよ。まぁ、セシー的に一発NGじゃなかったのは確かでしょうけど」
残響「アンの方はもっと描き込まれているのに。P44 6行目『すばらしい肉体だった、この少女の肉体は。ほっそりした象牙のような骨に〜』長くなるのであれですが、この後9行もアンの描写があります。セシー視点でアンの肉体をほめたたえているんです。こんなことをされちゃ、百合妄想するなっていう方が無理ですよ!」
fee「あぁ、それでですか……」
残響「なのに、全然そっちの方に行かなくて残念でしたけど」
fee「ご愁傷さまですw しかし、セシーに乗り移られたアンはいい迷惑ですね。好きでもないトムと恋愛ごっこをさせられるしw」
残響「ほんとですよw」
fee「アンの迷惑も考えないし、勢いで恋にのぼせちゃうし、若いなぁって。自己中というか、なんというか。ただ、その若さが羨ましくもあり、瑞々しい少年少女をブラッドベリは実に巧く描くなぁとも思います
残響「P59 13行目『まださっきの紙を持っている、トム? 何年後になっても、いつか、逢いに来てくれる? そのとき、わたしを思い出すかしら。わたしの顔をじっと見つめたら、最後にどこで逢ったか思い出してくれる? わたしが愛しているように、あなたもわたしを愛していたのよ。心の底から、いつまでも、わたしは愛し続けるわ』
ぼく、このセシーのセリフがすごく好きです……」
fee「冷静に考えれば明らかにおかしいんですけどね。いやいや会ったばかりで何言ってんだよwみたいな。ただ、そうは言ってもこのセリフは良いですよね。胸に響くというかなんというか」
残響「そうですよ。このセリフだけじゃなく、作品全体に漂うポエジーというか、詩情のようなものを感じます。こういうのがfeeさんが好きなブラッドベリ的なものなのかなって」
fee「セシーの自己中心的な感じもブラッドベリは狙っているとは思いますが、斜に構えたような読み方だけで終わらせるのは寂しいです。セシーの甘酸っぱい初恋を応援しながら、素直な気持ちで読む方がいいのかな。ところで、セシーの恋は実るんでしょうか? 最後、セシーはトムに自分の住所を渡しますが、トムはセシーのところに行くと思いますか?」
残響「これ、わかんないんですよねぇ」
fee「最初に読んだ時はセシーの完全な片思いかと思ったんです。トムはアンの事が好きなんだから、アンの身体に乗り移ったセシーが何を言ったって意味がないんじゃないかって。P54 13行目トムの台詞に『それで、ぼくはきみにまたあらためて恋をしちゃったんだ』とありますが、それも、成長したアンに惚れ直した、くらいの意味かと思ってたんです。でも、P54 10行目『そのあと、井戸のそばに立っていたとき、何かが変わったような気がした』というのは、かなり具体的な瞬間……つまり、アンの緩やかな成長ではなく、アンがいきなり変わったと、そうトムが認識しているように読めます」
残響「P55 17行目のセシーの台詞『アンがあなたを愛さなくても、わたしは愛してるわ』というのは相当踏み込んでいますよね。そしてですよ。その後の文章。P56 4行目『たったいま、なんだか、どうも――男は目をこすった』これは、かなり怪しい文章ですよ。含みがあるというか。この時、トムの中で何が起こったんでしょう。ひょっとして、アンの顔に重なるように、薄っすらとセシーの姿が見えたのかもしれません」
fee「最後、P60 5行目『そのてのひらに小さな紙片があった。ゆっくり、ゆっくりと、何分の一インチかずつ、指が動き、やがて紙片を握りしめた』。これもね。最初は、ぎゅって握りしめた……まぁこの時、トムは寝ているわけですけど、ゴミか何かのように握りしめた。それで紙はしわくちゃになって、セシーの住所は読めなくなってしまった。というふうに読んだんですよ」
残響「確かにそう読めるんです。でも、決意を込めて、『よし、行くぞ』と。セシーを離さない、そんな決意を込めて、セシーの住所を握りしめたのかもしれません。ブラッドベリは、敢えてどちらにも読めるように、慎重に慎重に書いているように思えます」
fee「そうですね。セシーの恋がどうなったかは読者の想像に委ねると、そういうことですよね」
残響「きっとセシーの恋は実りますよ。セシーの家を訪ねるのは、トムじゃなくてアンかもしれませんが……」
fee「百合の話はもういいからw」
第1作目/全21作(「荒野」は除く) 「二度と見えない」 P167〜174
残響評価 D fee評価 B−
(S〜E評価です)
fee「とりあえず、あらすじを。メキシコ人のラミレスさんが、下宿先のおばさん、オブライアン夫人と別れるお話です。別れる際に、【二度と見えない】って言うんですね。はい、そんなお話……で、合ってますよね?」
残響「はい。ほんと、それだけの話ですよね。一応捻ってはいると思うんですが」
fee「捻っている、というのは……?」
残響「まず先に、feeさんの感想をうかがってからで良いですか?」
fee「わかりました。まず、この話はやっぱり【二度と見えない】という表現が良いですよね。翻訳の小笠原さん、頑張ったなぁって」
残響「確かにそうですね。これ、原題は【I See You Never】って書いてあるんですが、あんまり口語っぽい言い回しじゃないんですよね」
fee「お、英語が苦手な僕にはよくわからないぞ! 僕より残響さんの方が、深く読み込んでそうだなぁ……」
残響「Seeという単語があるじゃないですか。これは【見る】という単語ですけど、慣用表現では【I'm glad to see you.(お会いできてうれしいです)】とか、【See you again!(さよなら)】というふうに、【会う】みたいな意味でも使うんですね」
fee「確かにそうですね!(全然考えないで読んでいた、と言いだしづらい流れだw)」
残響「だから【I See You Never】で、【二度と会えない】になるのかなと思うんですが、【二度と見えない】と訳していますよね」
fee「メキシコ移民なので英語が苦手なんですよね」
残響「そうです。でもまぁ、ぼくの認識では、【捻りはそれだけ】って言うか……」
fee「あぁ、うん……まぁ確かに……」
残響「feeさんの感想をうかがっても良いですか?」
fee「はい。まず、最初に書きましたが、P174 4行目の【さよなら、オブライアンさん。あなた、親切でした。さよなら、オブライアンさん。あなたと、二度と見えない!】というセリフは良いなぁと。【二度と会えない】だと普通なんですが、【二度と見えない】とすることで、ラミレスさんがオブライアンさんとお別れする悲しみが、より伝わってくるというか」
残響「そうですね。うまく言いまわしてないがゆえの、パセティック(悲愴)な思いというか。エロゲで言うと……(やめとこう) *1」
fee「ラミレスさんとオブライアン夫人はとても仲が良いんですね。だからこんなに別れを惜しんでいるんですが、ラミレスさんはメキシコ移民じゃないですか。オブライアン夫人というのは、作中で書かれてはいませんけど、名前からしてアイルランド系の移民だと思うんです」
残響「そういわれれば、なるほど」
fee「なので、メキシコ移民とアイルランド移民。人種は違いますが、アメリカ社会ではマイノリティというか、弱者の立場にある人同士。だからこそ、お互い親しみを持ったんじゃないでしょうか?」
残響「アメリカでのアイルランド移民って、貧しい人が多いんですよね。警官とか、消防士みたいな肉体労働者(ブルーカラー)。貧しいからこそ、結束力が強いというか、アイルランド移民のコミュニティみたいなものもあります。怒りっぽくて頑固で、情に熱い、っていうのがアイルランド移民コミュのステレオタイプでしょうか。まあ、同じ白人でも、上流階級ではない。だからこそthe Poguesの名曲「ニューヨークの夢」が感動的な曲でして……って大いに話がずれてるっ!w しかしそう考えると、メキシコ移民に対しても、弱者同士で親近感というのはあるのかもしれませんね。パンク!」
fee「オブライアン夫人も、子供はいるみたいですが、旦那さんも出てこないですし。僕は、ブラッドベリ作品の特徴の一つに【寂しさ】があると思うんですが、この『二度と見えない』も寂しい人たちの話という感じがします。そういう意味ではブラッドベリっぽい話ですし、嫌いじゃないです」
残響「あー、確かにこの短編集も寂しい話が多い気はしますね。しかし、ブラッドベリという作家さんは、こうして考えてみると【社会派】としての側面も持っているというか、少なくとも絵空事、空想100%の世界だけじゃなく、現実の問題についても興味を持って作品を作っている感じがしました。この方向性を突き詰めていくと『華氏451度』みたいな作品になるんでしょうか」
fee「まぁ確かに、全部の作品がそうというわけでもないですが、そういう作品もありますよね。この短編集にもいくつか『華氏451度』路線と言うのかな? 社会派っぽい作品はありますし。えーと、『二度と見えない』についてはこれぐらいでいいのかな?」
残響「あっ、もう終わりですか?」
fee「え、いや……っていうかこの作品7ページしかないんですよw 10分ぐらいで読める作品なのに、僕らもう13分も話してるじゃないですかw このまま話すと、『二度と見えない』本編の文字数よりも、僕らの対談の文字数の方が多くなっちゃいますよw」
残響「10分ぐらいで読める、というのがぼくとfeeさんの小説における読書スピードの違いを感じるわけですが……まぁこれぐらいですかね」
fee「もちろん、何かまだ語りたい事があればいくらでも語ってほしいんですが、残響さん、この作品は一番どうでもいいみたいな扱いをしていたのにw」
残響「ははは、確かにw」
fee「一番どうでもいいはずの最初の一作で13分か……。これ、前回の『ラブラブル』並のボリュームになりそうですね。さて、では次はどの作品にしましょうか……『華氏451度』路線、という話が出たので、そちらから攻めてみますか?」
残響「それでいきますか。『華氏451度』路線というと……『人殺し』とか『歩行者』、『黒白対抗戦』あたりですか?」
fee「『黒白』は少しズレる気もしますが……『人殺し』や『歩行者』はドンピシャですね。じゃあ次は『人殺し』行きますか?」
残響「行きましょう」
*1 どろり濃厚(残響)
第2作目/全21作「人殺し」 P137〜154
残響評価 B+ fee評価 B+
fee「あらすじから行きます。主人公のアルバート・ブロックさんは、ちょっと神経質な人なんですね。この世界ではどこに行っても音楽が流れていたり、無線腕時計とかいう携帯電話みたいなものがあったりして、なんだか現代日本みたいな感じ。ブロックさんは、我慢できなくて、壊しまくってしまう。結果、精神病院に入れられてしまう〜と、こんな感じのお話です。『華氏451度』にもこういった描写はあったと思いますし、かなり近い感じの作品だと思います」
残響「ぼく、この作品結構好きなんですよ」
fee「僕も好きですねぇ」
残響「まず、この作品の評価を大きく分けるポイントとして、読者が主人公のブロックさんをどう思ったかというのがある気がします。……ぼく、ブロックさんの気持ち、すごくよくわかるんですよね」
fee「あぁ、残響さんもわかってしまいますか……。僕もすごくよくわかりました。ただ、読者によっては、ブロックさんを全く理解できない人もたくさんいそうな気がします。そういう人々にとっては、この『人殺し』という作品は駄作になりかねないような。かなり好き嫌いが分かれそうな作品だと思うんですが……」
残響「……ブロックさんを全く理解できない人って、やはりいるんですかね?」
fee「いると思いますよ? これ、現代日本まんまじゃないですか。病院に行けばテレビがついている、電車に乗ってもテレビがついている、下手をするとラーメン屋に入ってもテレビがついている。渋谷かなんかを歩けばビッグビジョンで、やっぱりCMを流しているし、お店に入れば音楽が流れている。ネットやスマホを開けば、今日のトップニュースみたいなものを教えてくれるし、Twitterを開けば今日のトレンド、みたいな。ものすごい量の情報が、これでもかとばかりに押し付けられてくる。家にいるだけで移動販売車の騒音とかが来るし:汗。でも、そういう状況に疑問を抱かない人ってたくさんいると思うんですよね。
テレビ流れてるの? 別にいいじゃん、暇だし。音楽? いいじゃん。ニュース? 便利だね! 移動販売車? 季節の風物詩だねぇ。何が気に入らないの? 何文句言ってんの? めんどくせー奴だなw みたいな」
残響「あぁぁ、うん……(世界苦)」
fee「だからまぁ、ブロックさんを理解できちゃう人っていうのは……それだけでストレスを抱えるわけだから生きづらいですよ。僕も残響さんも、あるいは『人殺し』を読んで共感しちゃった人も。『人殺し』? ナニコレ、主人公キチガイ乙w で済ませられる人は勝ち組じゃないですか?」
残響「それはそれでw でも、この作品をユーモアだと思って笑える人はいるかもしれませんね」
fee「笑える……かぁ? これは僕らには笑えないですよね……」
残響「笑えないですね……。こうなってくると、何が正常で、何が異常かという話にもなってくるんですけども」
fee「多分世間一般から見たら、ブロックさんは異常だし、僕らもまぁ神経質な人に括られるかなと。僕なんかから見たら、あの音や情報の洪水に疑問を持たない人たちの方がちょっと……というのは言い過ぎかな……。結局、正常と異常を分けるのは、どちらが多数派かという……」
残響「この作品が書かれたのは1950年代……ですよね? アメリカはこの当時からこんなだったんでしょうか。それとも未来を先取りしたのかな」
fee「わかりませんねぇ。この作品で面白かったのが、P149 5行目の【うちに帰ると、女房がヒステリーを起こしています。どうしてでしょう? 半日の間わたしからの連絡が途切れたからだそうです】」
残響「うわっ めんどくせーw」
fee「ケータイ依存症でこういう人いますよねw いや、かくいう僕も割と連絡はマメな方なので……半日じゃキレないですけども。今の世の中、連絡頻度が合う・合わないというのは、交友関係や恋愛関係にも大きく影響していると思います」
残響「まずぼくが面白いと思ったのは、最初の方に出てくる一連の音楽の描写です。P140 5行目の【ストラヴィンスキーがバッハと番い、ハイドンはラフマニノフを拒もうとして拒みきれず、シューベルトはデューク・エリントンに殺されていた】。これ、音楽同士の相性が無茶苦茶なんですよ。音楽傾向、ジャンル的に、一気に鳴らされたら不協和音にしか思えないと言いますか」
fee「へぇ……その辺はさすが音楽に詳しい残響さんの感想ですねぇ」
残響「ブラッドベリは音楽も好きだったのか、取材したのか……この描写はなかなか【わかってる】なぁと思いました」
fee「現代日本でもそうですが、勝手に流されてくるテレビとか音楽とかを、まじめに聴いている人って、どの程度いるんでしょうか。残響さんの指摘で考えれば、この作中では誰も音楽をまじめに聴こうとしていませんよね。ただ流しているだけの音楽がぶつかりあっているというか」
残響「ですねぇ。流行とか、話合わせとかいうチャラい意味すらない」
fee「大体、まじめに音楽が聴きたい人はスマホなりにイヤホン挿して聴けばいいわけで、何も興味のない人にまで流さなくてもいいのになぁと個人的には思っちゃいますね。僕は本を読みたい人なんですけど、音楽が鳴っていると集中しづらいので、正直迷惑だなぁと思っています。特にテレビがついている飯屋は基本避ける傾向にありますね。こういう事を言っちゃうと【まじめに本が読みたい人は家でだけ読んでろ】と言い返されちゃうかもしれませんし、別に権利を主張したいわけではないけども……。歯医者に流れている環境音楽みたいなのは特に嫌ではないんですけど、それだって別になくたっていい」
残響「カクテルパーティー効果という、科学的に証明されてるものがありまして。喫茶店とかで音楽をフロアに流しておくと、各々の雑談を周囲からシャットアウトできるんです。ざわめきみたいなのが伝わりにくくなると言いますか」
fee「あぁ、なるほど。そういう効用があるんですね」
残響「そういう意味で、音で各々が孤絶している、ディスコミュニケーションの話とも取れますが……。
それから、ブロックさんの無双ぶりも面白いですね。P145 17行の【大入りのフレンチ・チョコレート・アイスクリームを一パック買って来て、スプーンですくって、車の無線送信機へ流し込んだんです】とか」
fee「暴れまくっていますよねw」
残響「ところで、ジアテルミーっていうのはなんだったんでしょう? ちょっとよくわからなかったんですが……」
fee「ジアテルミー? どこですか?」
残響「P148 7行目とかです」
fee「うーん、分からないなぁ」
残響「あ、調べればいいのか。えーと、ジアテルミー……皮膚を通した温熱療法で、超短波、超音波、電流で……療法なんですかね??」
fee「んー、これ、前後の文脈を考えると、ブロックさんがバスに乗っていますよね。で、ラジオやケータイがうるさい。そこでブロックさんがジアテルミーを使うとバスが沈黙……ということは、なにか妨害電波みたいなのを発生させる装置なんじゃないでしょうか? ジャミング的な」
残響「あぁ、なるほど」
fee「いや、わからないですよw でも確かジアテルミーの説明にも超音波、超短波とか書いてありましたし……本来の意味とは違う気もしますけど、そんなニュアンスかなと」
残響「ブラッドベリさんの誤用なのかしら。やっと謎が解けたw」
fee「タイトルの『人殺し』っていうのも、結構ドギツイ単語ですよね。器物損壊じゃなくて、人殺し」
残響「ぼく、精神的にちょっと参っていた時に、周囲の音にすごく過敏になっていた事があるんです。静かなはずのゴルトベルク変奏曲 がものすごいデスメタルのように聞こえた、それぐらい過敏になっていた事があって」
fee「僕も、精神的につらい時は活気のある雰囲気が苦手でしたね。魚売り場でおじさんが【いらっしゃい! いらっしゃい!】って威勢よく売っているのを聞いて、うわっって気分が悪くなったことがあって。全然悪い事じゃない、むしろ元気があって良いとたいていの人は評価するでしょうし、ダメージを受けた僕の方がおかしかったんですが、それでもつらい時ってあるんですよね」
残響「【周囲の音を消せ!】というのは、【周囲の普通の人々の価値観を殺せ!】みたいな、そんな意味があるんじゃないでしょうか。本当におかしくなっている人にとっては、【殺るか殺られるか】そんな切羽詰まった状況なんじゃないかなと。ブラッドベリもこういう問題意識を抱えていた……のかなぁ」
fee「科学技術の発展にともなって窮屈になっていく時代。そういったものに無関心な人だったら、こういう話は書かないでしょうね。だからブラッドベリもブロックさん寄り……じゃないのかな? 僕も残響さんも、ブロックさんの気持ちがよくわかる方だと思うんですが、公共のものを壊しちゃダメですよねw それはそれでやっぱり怖いですよ」
残響「確かにw」
fee「バス会社に、【ちょっと車内の音がうるさいんじゃないか】と投書を送るとか……それぐらいですかねぇ、できることは。そんなことをしても、何も変わらない気もしますが。結局は、我慢するしかないんでしょうかね。大多数の人は気にしていないわけですから」
残響「生きづらいですなぁ。実に生きづらい。」
fee「この作品はお互い、【ブロックさんわかるなぁ】という感想になりましたが、どれくらいの比率でブロックさんに共感が集まるのかはちょっと気になるところではありますね。
では、次の『歩行者』に移りましょうか?」
残響「行きましょう、行きましょう」
第3作目/全21作「歩行者」 P27〜37
残響評価 B+ fee評価 B−
fee「散歩をしていた無職未婚者のミード氏が警察車に捕まる話、です。警察車、というのはこの作品独自の設定で、無人の警察車が街を走って不審者や犯罪者を捕まえてまわっているんですね。」
残響「あらすじはそんな感じですけど、この話、ユーモラスな部分もあって面白かったです」
fee「ユーモラスかなぁ……すごく怖い話だと思います」
残響「確かにそうなんですが、やりとりが面白いんですよ。P33からのミード氏と警察車のやりとりを多少省略しつつ引用します」
警察車「職業は?」
ミード氏「作家、というところです」
「無職か」と、警察車は独り言のように言った。
ミード氏「まぁ、そういっても構いません」
「無職か」と、レコードのような声が言った。
警察車「外で何をしていた?」
ミード氏「歩いていました」
警察車「歩いていた!」
ミード氏「ただ歩いていたのです」
警察車「歩いていた、ただ歩いていたのか」
ミード氏「はい、そうです」
警察車「どこへ歩いていた? 何のために?」
ミード氏「いい空気を吸うために歩いていました。景色を眺めるために歩いていました」
警察車「きみの家にはいい空気がないのか。エアコンはあるのだろう? きみは既婚者かね?」
ミード氏「いいえ」
警察車「未婚か」
ミード氏「結婚してくれる相手がいませんでしたのでね」と、レナード・ミードは微笑した。
警察車「質問されないうちに喋ってはいけない!」
残響「とまぁ、長くなりますが終始こんな調子なんです。警察車の【歩いていた!】とか【無職か】とか、こういった台詞が、なんだかおかしみがあるなぁと」
fee「確かに……。何か、ちょっと変な行動をしていたり、他人から理解できない行動をしていると、寄ってたかって後ろ指を指すようなところ、日本にもありますよね」
残響「ありますね……同調圧力的な……一つの理想的な生き方があって、そこからハズレた人間に対する冷たい目というか」
fee「アメリカでもやっぱりあるんでしょうね……。ミード氏は単に散歩してただけなんです。無職で未婚者かもしれませんが、単に散歩していただけ。なのに捕まっちゃうんです。酷い話です」
残響「ですよねぇ。かわいそう」
fee「この警察車みたいな人って、日本にも結構いるんじゃないでしょうか。無職なら求職活動をしたらどうだ? 未婚者なら結婚相手を探したらどうだ? 散歩なんてしている場合じゃないだろ、頭おかしいんじゃないか? みたいな」
残響「そこまでラディカルかはわかりませんが、いるでしょうね」
fee「別に、他人が何をしようがいいでしょうに。散歩くらい好きにさせてやれよと思っちゃいますけども」
残響「なぜか自分の狭い物差しを他人に当てはめて、口出ししたがる人っているんですよね」
fee「ミードさんと警察車が、全く意思疎通できていませんよね。ミードさんは場を和ませようとして【結婚してくれる相手がいませんでしたのでね】と言っているのに、【質問されないうちに喋ってはいけない!】とか言われちゃって。警察車は全く歩み寄らないし、ミードさんを理解しようという気がない。これは、【警官】ではなく【警察車】なので歩み寄らないのは当たり前なんですけども……治安維持行為をする【警官】から、人間味が失われてきている。そういった警官への、皮肉にも読めるかなと思います」
残響「ディスコミュニケーション」
fee「この作品、アルベール・カミュの『異邦人』という作品と似ている気がします。『異邦人』でも、母親の葬式の翌日に海水浴に来ていたとか、キリスト教を信じていないとか、そんな理由で死刑になっちゃうじゃないですか。そりゃ、母親の葬式の翌日ぐらい静かにしてたら?とは思いますけど、海水浴に来たかったんだから、他人がとがめだてすることもないでしょう。でも、世間の圧力としては【母を悼む優しい心】をアピールしてほしかったわけですよね。
【なんだこいつ? 何考えているのか意味が分からん。死刑】みたいな」
残響「『異邦人』のラストで、ムルソーがキレるシーンがあるじゃないですか。あそこがぼくは本当に好きでしてねぇ。ぼくはあれは、【勝手な物差しで他人の幸せを量るんじゃねぇ!】というムルソーの怒りだったと思うんですよ。もし警察車が【どうして結婚しないんだ? どうして働かないんだ? 働いて結婚するのが幸せだ】と決めつけるようなことを、ミード氏に言ったとしたら、キレていたと思います」
fee「ミードさん、優しいですからね。人当たりも良いのに。僕ならイラっとしますね。
まぁでも、無職で未婚者で、毎日夜散歩する事だけが生きがいなミードさんは、警察車みたいな人から見たら不審者でけしからん奴なんですよ。P29 2行目【草の生えた敷石の継ぎ目をまたいで先へ進むこと、ポケットに手をつっこみ静寂のなかを歩きつづけること、それがレナード・ミード氏の最大の喜びであった】……最大の喜びなのか……それはちょっと寂しくないかw」
残響「いやでも、散歩は良いですよ。ぼく、散歩すごく好きですし、ミード氏の気持ちはわかります」
fee「僕はあまり散歩は好きじゃないからなぁ。【数年前から毎晩です】【この散歩は時として何時間も何マイルもつづき、帰宅は夜半近くなることもあった】……うーんw」
残響「なんか学生時代のぼくみたいだな……。音楽を聴きながら、延々5kmくらい近所のでっかい自然公園をちんたら歩いてました。あれは綺麗な思い出です」
fee「ごめん、僕はちょっとわかってあげられなかった……。でもまぁ、いいんですよ。誰に迷惑かけてるわけじゃないし」
残響「そうですよ」
fee「この話、たぶんミード氏が会社役員の既婚者で、【息抜きに散歩していました】とでも言えば、多分捕まらなかったと思うんです。あるいは、無職で未婚者でも【今、求職活動してます】アピール、【恋人探して、いろんなパーティー出てます】みたいな婚活アピールでもしていれば。でも、【毎日散歩しているだけ】。だから、警察車みたいな人から見ると、【理解不能】なんでしょうけど……。面倒くさいですねぇ。無職で未婚者で、お金が続く限り毎夜の散歩が最大の楽しみだっていうなら、そういう人がいたっていいと僕なんかは思いますけど。僕自身がそうなりたいかはさておいてw」
残響「なりましょうよ!w」
fee「……これ、よく読むと未来設定なんですよ。P29 5行目【2053年の世界にあって、かれは孤独だった】」
残響「2053年!?」
fee「全然未来っぽくないですよねw ただ、P32 11行目に【人口300万の都会に、警察車は一台しかないのである。一年前の2052年に選挙があり、それ以来、警察車は三台から一台に削減されたのだった】とか、よくわからない謎のSF設定もあるし……」
残響「うーんw なんか無茶苦茶な設定ですねw」
fee「まじめにSF書く気はないですよね。まぁブラッドベリらしいっちゃらしいですけど……」
残響「あまりハイテクとか科学の進歩を歓迎しているようにも見えませんし……。むしろ、旧き良きものを残したいというか」
fee「そうですね。その辺がハインラインあたりとは真逆というか。ハインラインは、前向き、楽観的な感じがするんです。健全なんですよね。だから、ハインラインが好きな人とかの方が、社会で健康に生きられそうな気がする。ブラッドベリなんか好んでちゃダメですよ、クヨクヨした人生になっちゃいますよw」
残響「ちょっw アナタ、ブラッドベリのファンのくせして!w」
fee「まぁ、太宰治みたいなものですかね。健康に幸福に生きたいなら、ブラッドベリなんか好きになっちゃいけないんです」
残響「ブラッドベリは太宰だったのかw」
fee「【ブラッドベリが好きなんです】と口に出すのは、少し後ろめたさというか恥ずかしさみたいな気持ちはあるにはありますね。そういうのは大学生ぐらいで卒業しとけよ、みたいな。きちんとしたまっとうな大人になって、ミード氏を弾圧する側に回らないと……」
残響「これが後に伝えられる独裁者fee千年王国の誕生であった……」
【前口上】
去年行われた怒涛の「『ラブラブル』対談」は、feeさんと残響のお互いの立場の違いが明確となり、なかなかに白熱した対談となりました。ありがたくも、この「『ラブラブル』対談」には、何人もの方々が熱いコメントをお寄せくださいまして、それにより一層議論・対談が深められました。企画者・ブログ編集者として、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
さて、二人の次の対談企画として、この度「読書会」をやってみよう、という案が持ち上がりました。
題材は、レイ・ブラッドベリ『太陽の黄金(きん)の林檎』。feeさんは昔からのブラッドベリのファンであり、残響はまーったくブラッドベリを一冊も読んでいないというSF素人。この極端な立ち位置の違いというのもまた面白かろう、ということで、今回から数回にわたって「『太陽の黄金の林檎』読書会」を、当対談ブログ「止まり木の足りない部屋」の連載企画として展開していきます。
エロゲに何の関係があるんだ! と言うツッコミは想定済みですが、本ブログ編集者としては、より広い意味で「物語を語る」という行為を通して、feeさんと残響という、物語読み、物語書きの哲学みたいなものを、面白おかしく語っていけたら、と思っています。ネタバレ全開の対談記事をあげておいてなんですが、これを機に一人でも多くの方が当作品に興味を持っていただけたら、あるいは再読の良い機会となれば幸いです。
くどくど書きましたが、「なんだこの二人、古いSFをやけに楽しく語ってるなぁ……?」と、ゆるりと対談記事を楽しんでいただけたら幸いです。もちろん、ガチSF者の方の「俺ブラッドベリ観」によるツッコミもお待ちしております!(どきどき)
(残響)
作品語り、その前に
fee「レイ・ブラッドベリの短編集『太陽の黄金の林檎』の読書会を始めたいと思います……が……どういう流れでやったらいいのかな?」
残響「そもそも我々がなんで、この本の読書会をすることになったのか。その話を最初にするのが良いんじゃないでしょうか?『ラブラブル』からブラッドベリ、っていろんな意味ですごい落差っすよ」
fee「確かにw そもそもの発端は、2016年の12月に、僕が書いたSF紹介のブログ記事でした。その中でブラッドベリにも触れたんですが、残響さんがその記事を気に入って下さって。それで〜という事……ですよね?」
残響「そうです。自分もオタクとして、こういう形での【好きな作家&代表作】を語らないとなぁ、としみじみ。そんで、自分のブログでも似た形の、漫画家紹介なことをしたんですが。まあそれはさておき、feeさんのご紹介のなかで、とくに琴線に触れたのがブラッドベリでした」
fee「でもなんで、『太陽の黄金の林檎』にしたんですか? あの記事では幾つか作品を挙げましたけど、その中でなぜ『太陽の黄金の林檎』を残響さんがチョイスしたのかはちょっと気になるかも」
残響「三つあって、一つはもちろんfeeさんが書いてくださった内容に触発されてなんですけど、その後の二つは割としょうもない理由なんです……」
fee「どうぞw」
残響「一つは、表紙が格好良かったからですw」
fee「ww ちなみにどのバージョンですか?」
残響「新しいやつです。黒くて赤い」
fee「グーグル画像検索してみました。これですか。僕が持っているのは恐竜のやつですね」
残響「あ、これか。なるほど、ということは自分のはやっぱり新装版ということですな。……それでですね、もう一つの理由はタイトルが格好良かったからですw」
fee「まぁ確かに『刺青の男』とか普通ですからね……。僕的には『10月はたそがれの国』とか格好良いと思うんですけど」
残響「いわゆる【メルヒェン】な感じがいいですね。今ブラッドベリのwikiを見ているんですけど、『歌おう、感電するほどの歓びを!』とかすごくカッコよくないですか?」
fee「その下の『ブラッドベリは歌う』はすごくダサいんですけどw」
残響「酷い。『ウは宇宙船のウ』、『スは宇宙(スペース)のス』っていうダジャレシリーズも古典タイトルとはいえ、改めて思うと安直ですなぁ……」
fee「原題も『R is for Rocket』『S is for Space』だからしょうがない……。僕は『二人がここにいる不思議』とかいいなぁって思いますね」
残響「あぁ、いいっすねぇ。センス・オブ・ワンダーだなぁ。てか、『歌おう、感電するほどの喜びを!』と『ブラッドベリは歌う』って、これどっちも原題は『I Sing the Body Electric!』じゃないですかw 同じ本をサンリオと早川で出していて、訳が違うってことでいいのかな? ガンバレ! サンリオ文庫! もう亡(な)いけど!」
fee「多くのSF読みはサンリオ文庫を恨んでいると思いますよ。多分。ハヤカワの古書は読める本が多くても、サンリオの古書を読むのは難しい……プレミアムがついてたりしますし……。話を戻しますと、確か、『I Sing the Body Electric!』という作品をそのまま訳したのが、サンリオの『ブラッドベリは歌う』。分厚い作品なので、ハヤカワはこれを『キリマンジャロマシーン』と『歌おう、感電するほどの喜びを!』の2冊に分けて出版した……はず……」
残響「なるほど……。そういえば、読書文化トリビアなんですが、アメリカって【the Great American Novel】みたいな、アメリカ人の求める本のあり方があるんですね。【長くて分厚いのが偉い】みたいなんで、本もすんごく分厚かったりする。ペーパーバック(文庫)でも。それを避暑地やプールにもっていって、じっくり読む楽しみみたいなのもある、らしいです。夏の避暑地の古本屋はなかなか読書人にとって、楽しい時間らしいですよ」
fee「へぇ、それは面白いですね。全然知らなかったです……。
僕が知っているのは、アメリカはとにかく一冊で済ませる文化があって。どんなに分厚くても、上下巻で分けるような事は基本的にはしない。スティーブン・キングの短編集の『スケルトン・クルー』なんかも日本では三分冊になるほど分厚いんですが、アメリカでは一冊で出ています。『指輪物語』なんかはあまりにも分厚いので、全部で一作にも関わらず、無理やり第一部、第二部、第三部に分けて【三部作】という体裁にしたんですよね。ほんとは一作なんですが、【三部作】とか【シリーズ】という体裁にしないと、【本を買ったのに、なんで結末まで書いてないんだ! 未完商法、続編商法かよ!】って怒られちゃうから」
残響「どっかのエロゲみたいですねw どことは言わない。慈悲の心」
fee「ごめんなさい、脱線しました。話を戻します。ブラッドベリの代表作は『火星年代記』だと僕は思うんですけど……」
残響「『華氏451度』じゃないんですか?」
fee「えっ!?」
残響「いや、ぼくの認識ではそうなんですけど……。『華氏451度』って焚書のディストピア話じゃないですか。現実が『華氏451度』を追い越していく……、的な比喩表現とか結構、ぼくのいる界隈では聞いていて……」
fee「あぁ、なるほど……。なんだろうなぁ、『華氏451度』も面白いとは思うんです。思うんですけど、僕が考える【いわゆる、ブラッドベリらしい作品】とはちょっと違うというか。これはこれで良いんですけど、このテのストーリーだったらジョージ・オーウェルとかの方が巧いと思うし……」
残響「『1984年』とかですね」
fee「そうです。もちろん【ブラッドベリらしさ】というのも、僕が勝手に考えているだけなんですけど。僕が考える【ブラッドベリの良さ、らしさ】が出ている作品の中で、一番有名なのは『火星年代記』かなって」
残響「そうなんですね……。今回『太陽の黄金の林檎』を読んで、なんとなく一般的イメージだけではない真の作風をわかった気もするんですけど、読む前は【ブラッドベリ=華氏451度の人】という感覚でした」
fee「そうなのかぁ……」
fee「ブラッドベリの短編集は色々ありますが、初読者の方にどれをお薦めするかというのは割と難しいと思っていまして。好きな短編集がたくさんあるので、やっぱり色々薦めたくなっちゃいますけど、どんな短編集にだってハズレ作品はありますし、ハズレ作品が多い短編集にも珠玉の一作とかもありますし……。『太陽の黄金の林檎』は、あくまでも僕個人の好みを言いますと、【アベレージが非常に高い短編集】だと思っています。本当に大好きな短編作品は他の短編集に入っていたりするんですが、【太陽の黄金の林檎】は読んでがっかりするような大外れ作品が一番少ない短編集かなと」
残響「『ウは宇宙船のウ』というのもよく聞くタイトルなんですが、feeさん的にはこれはあまりお薦めはしないんですか?」
fee「あぁ、それはですね……。『ウは宇宙船のウ』は、音楽で言うベストアルバムみたいなやつなんです。代表作を集めました、みたいな。ブラッドベリを1作だけ読んで、それで満足、卒業!というならば、『ウは宇宙船のウ』を読むのは良いかもしれません。ただ、これは僕のワガママですが、良い作品はたくさんあるので、せっかくだから何冊か読んでほしいんですw ベストアルバムから入って、次にいろんなアルバムを聴くと【被り】が発生するじゃないですか」
残響「わかる。まさにベストアルバムのパラドックスです。The Clash の『エッセンシャル・クラッシュ』と、1stアルバム『白い暴動』の被りは相当だからなぁ(どうでもいい)」
fee「僕としては、もしブラッドベリが気に入ったなら、『太陽の黄金の林檎』と『刺青の男』、『10月はたそがれの国』、『火星年代記』、この辺りをどんどん読んでほしいんですw これらを読めば、大体『ウは宇宙船のウ』に入っている作品は読めますし、ベストアルバムには入っていない良作、名作も読めますし」
残響「なるほど。しかし、ブラッドベリってSFの人だと思っていたんですが、あんまり【いわゆるSF】……もっと限定すると設定バリバリのハードSF、っぽくないですよね。『太陽の黄金の林檎』を読んで思ったんですけど」
fee「少なくとも、【科学技術】にこだわりがある人ではないですよね。だからこそ、SFファン以外の、普通の読者にもとっつきやすいかなとは思います。コテコテのSFが読みたい人向きではないかもしれませんが」
残響「ところで、ちなみに先ほどfeeさんはハズレ作品が少ないと仰っていましたが、feeさんはこの短編集の中で、ハズレだと思った作品はありますか?」
fee「いきなり爆弾を投げましたねw 言っちゃいますか?」
残響「お願いしますw」
fee「まず、表題作にして短編集のラストを飾る『太陽の黄金の林檎』」
残響「Oh……ww」
fee「それから、『草地』。あと、僕、『発電所』はちょっと難解でわからなかったのでこれもハズレかな。自分が分からないからハズレ、っていうのもどうかとは思いますがw」
残響「今思ったんですけど、やっぱり我々は全然好みが違いますね。ぼく、その三つ、結構好きなんですよw 好みも、恐らく読み方も違う二人だからこそ、読書会というか、話して面白いというのもあるんですけども」
fee「ごめんなさいw ちなみに残響さんのハズレ作品は?」
残響「まず、『二度と見えない』。それから、よくわからなかったのが『ぬいとり』。【こんなもんか】、って落胆的に思ったのが『空飛ぶ機械』。この辺りですね」
fee「なるほどw 僕、この三つはどれもB評価ですね。嫌いじゃないです。大好きというわけでもないですが……さて、そろそろ作品個別の話をしていきたいと思います……どの作品から行きますか?」
残響「どうしましょう(ノープラン)」
fee「あ、一番最初に。『荒野』という作品なんですが、これ、実は 『火星年代記』にも *1 後から収録されたんです。もし残響さんが『火星年代記』を今後読んで、またこうやってお話しする機会があるなら、【『火星年代記』読書会】の際に触れた方が面白い気もするんですが……」
残響「そうですね……お約束はできませんが、『火星年代記』は読みたいと思っているんです。連作短編集であり、feeさんがブラッドベリのマスターピースとしておられますし」
fee「おっ、それは楽しみだなぁ! じゃあ今回は『荒野』は飛ばしましょう。残りの21編について、語っていきたいと思います」
残響「はい」
fee「で、順番ですが……じゃあ残響さんのハズレ作品『二度と見えない』から行きますか?」
残響「そこから行くんだw」
fee「だって、短い作品だし、残響さんあまり好きじゃないって言うし、僕もそんなに語る事はないので、手始めにいいかなって」
残響「わかりました。じゃあ、【『太陽の黄金の林檎』読書会】第1作目『二度と見えない』、行きましょう」
*1 1950年に出版された『火星年代記』は、1997年に改訂版が刊行された。1950年版とは収録作品が微妙に異なっている。『荒野』は1950年の『火星年代記』には収録されていなかったが、1997年版『火星年代記』には収録された。(fee)